目次
序論
第Ⅰ部 啓蒙から思弁へ
第一章 理性の光と影
1 〈啓蒙とは何か〉への内省
2 「意識の事実」からの超出――フィヒテのシュミット批判とヘーゲルのクルーク批判
第二章 常識と思弁のあいだ――ニートハンマーとヘーゲルの思索から
1 「常識に対するたえざる論戦」
2 『哲学雑誌』のニートハンマー論文
3 常識と思弁が「出会う」場所
第三章 思弁哲学の公教性と秘教性
1 「哲学は本性上秘教的である」
2 ヘーゲルにおける思弁哲学の公教性――「わかりやすさ/悟性性」とは何か
第四章 共通感覚と共通知の哲学
1 トマス・リードと共通感覚の哲学
2 ヤコービと信念の哲学
3 ヘーゲル哲学における共通知
第Ⅱ部 思弁と教養形成
第五章 哲学と人間形成――ニートハンマーとシェリングの教養形成論をめぐって
1 ニートハンマーの教養形成論
2 シェリング『学問論』における「極端な理念」
3 「極端な理念」からの脱却――「ニートハンマー批評」
第六章 哲学の〈学習〉としての体系――ヘーゲルの教育観と哲学的エンチュクロペディーの関係
1 教えられ,学ばれるエンチュクロペディー
2 カントの哲学的建築術と学習論
3 ヘーゲルの学習論
4 学習論における主体と像との隔たり
第Ⅲ部 思弁と共同
第七章 ギリシア的共同原理と近代国家の接点――歴史哲学主題化以前のヘーゲル国家論
1 歴史認識の転回とアリストテレステーゼ
2 ギリシア的共同原理と近代国家原理の交差
3 歴史哲学と精神哲学
第八章 ヘーゲルの「作品」論――個と普遍のあいだへの視座
1 個と普遍の弁証法における個別者の困難
2 意識の対他性
3 作品と個人
4 作品と承認
第Ⅳ部 思弁の視野
第九章 思弁的思考と弁証法――思弁哲学の困難と可能性をめぐるヘーゲルの視点
1 思弁と経験
2 弁証法の成果と思弁の抽象性
第十章 理性の思弁と脱自――ヘーゲルとシェリングにおける理性の可能性に関する考察
1 思弁の抽象性と具体性
2 理性の脱自――シェリング『啓示の哲学』における理性の限界と可能性
3 接点と差異,および対話的理解の可能性
第十一章 ヘーゲルの思弁哲学における命題・叙述・言語
1 ヘーゲル哲学の言語をめぐって
2 思弁的命題
3 思弁的叙述
4 「精神の定在」としての言語
結論
あとがき
文献一覧
註
索引
内容説明
アリストテレス以来,〈思弁〉は哲学の伝統的な思考様式であった。ヘーゲルにおいて全盛期を迎えたが,彼の死を境に衰退し,それとは逆の思考様式である,人間に直接関わる事象や物に依拠する思考が主流となった。哲学の対象も実存思想や実証主義,現象学,科学哲学といった具体的で現実的なものへと変化した。
しかし現代の哲学が自然科学,社会科学,生命科学などの諸科学,そして常識に支えられた市民社会や日常の生活世界,感覚世界の具体的な問題に深く関わるほどに,逆に哲学が本来もっていた〈抽象性〉という課題に直面せざるをえなくなっている。
本書は啓蒙思想からドイツ観念論をへてヘーゲルに至る思弁哲学の展開過程に光を当てることにより,改めて「思弁とは何か」を問う意欲的な試みである。
第Ⅰ部は啓蒙主義からドイツ観念論への移行期にヘーゲルが思弁的思考を哲学の核心に据えた動機を解明する。Ⅱ部では思弁が人間の教養形成とどのように関わりうるのかを考察し,Ⅲ部は思弁的思考と客観的精神(人倫)の関係を分析する。Ⅳ部は『エンチュクロペディー』(1830年)における思弁の定義に即し,思弁的思考そのものの構造を明らかにする。
著者の明快な論述は,過去と現在,有限と無限の対話を通して,読者を哲学の未来へと誘うに違いない。