目次
第Ⅰ部 写真家の誕生と戦時・占領
第1章 戦争とプロパガンダ――木村伊兵衛の上海・南京
第一節 東日暮里という場所で
第二節 石鹸と写真――生活革命と広告
第三節 報道写真との出会い
第四節 一九三○年代の政治とメディア状況
第五節 中国における新しい戦争をどう認識し,位置づけたか
第六節 映画『上海』『南京』
第七節 南京上海報道写真
第2章 勝者のプロパガンダ――木村伊兵衛の満洲
第一節 研究の前提となる問題
第二節 映像・アーカイブの研究の曖昧さを考える
第三節 映像アーカイブの映像を分析するための方法論
第四節 東方社と亜東印画協会を比較する――軍の関係機関のコレクション
第五節 写真ネガのデータベースから分析する
第六節 メディアが生み出す関係性の重層化
第3章 敗者のプロパガンダ――木村伊兵衛の東京
第一節 見失われた視点は何か
第二節 映像における地域性
第三節 連合国軍の映像の特徴
第四節 文化社のネガ・写真の内容を分析する
第五節 プロパガンダとしての映像
第六節 私たちの戦後
第Ⅱ部 つくり手の戦時・占領――近代的な映画会社・東宝
第4章 綴方がつなぐ記憶――山本嘉次郎の重層化した記録
第一節 豊田正子の綴方と活字メディア
第二節 『綴方教室』の戯曲化と映画化
第三節 プロデューサー的な監督としての山本嘉次郎
第四節 山本映佑の綴方が生まれる周辺
第五節 「告白」「綴方」「映像」の表現の位相の違い
第六節 映画『風の子』に対する批評
第七節 関係性と意味の変容のなかで
第5章 屍体がつなぐ記憶――黒澤明の戦争の風景
第一節 映画を見ているのは誰なのか
第二節 美を生み乱す者
第三節 美を表現するものとしての女性
第四節 屍体の風景――関東大震災
第五節 記憶の底――生きかえる屍体
第六節 ファルス――『まあだだよ』
第6章 死者がつなぐ記憶――今井正が語る戦争
第一節 死者が語る戦争
第二節 現実をどう再現するのか
第三節 被災者とアメリカ戦略爆撃調査
第四節 人びとの記憶には何があるのだろうか
第五節 記憶装置としての一人二役と二人一役
第六節 暴き出された,再構築された記憶
第Ⅲ部 メディアとしての映画の戦時・占領
第7章 映画における普及と検閲――戦時期における制度と興行
第一節 映画の「検閲」の歴史が示すもの
第二節 国策としての映画制度の確立
第三節 普及過程における「受け手」の実態
第8章 語られなかったもの――映画雑誌などの娯楽雑誌にみる占領期の検閲の諸相
第一節 雑誌検閲の実際
第二節 映画雑誌の検閲の対象となった内容
第9章 語られた復興の諸相――地方と中央の映画館事情
第一節 映画館数と映画観客数
第二節 県別の映画館数と映画観客数
第三節 「アワ・タウン」の若い人びと
第10章 語られた民主主義の諸相――映画・娯楽調査を読み解く
第一節 世論調査の時代
第二節 工場労働者の生活調査
第三節 演劇の観客実態調査
第四節 映画観客調査
第五節 占領期の意見風土
第11章 過渡期としての占領期――響き合う文化の諸相
第一節 文化の表層――流行語「ニューフェイス」が示すもの
第二節 文化の基層に揺曳するもの――「肉体」をめぐる現実と言説
第Ⅳ部 新しい現実と古い現実――占領期における映像空間
第12章 占領期における遭遇と記録――アメリカ公文書館所蔵の映像群をどう捉えるか
第一節 問題の所在
第二節 アメリカ公文書館の映像群(動画)の概要
第三節 アメリカ戦略爆撃調査団による映像の概要
第四節 空爆・原爆をめぐる映像
第五節 文化をめぐる映像
第六節 映像における記録とは何か
第13章 浮浪児という子ども――抗争の場としての『蜂の巣の子供たち』
第一節 浮浪児と『蜂の巣の子供たち』
第二節 監督 清水宏
第三節 敗戦と浮浪児
第四節 占領軍の政策と映画との関係
第五節 物語と検閲
第六節 映画評論家,および著名人の批評
第七節 映画を見た子供たちの反応
第八節 風景の発見
第14章 CIE映画・スライドの日本的受容
第一節 ナトコが与えた影響をめぐって
第二節 ナトコによる農山漁村における移動映写
第三節 ナトコ映写機で上映された映画
第四節 CIE映画上映の主催者と上映会場
第五節 へき地での視聴覚教育
第六節 都市近傍での公民館において
第七節 CIE映画上映プロジェクトの効果と影響について
あとがきにかえて――私的回想
初出誌一覧
引用文献
索引
内容説明
写真,映画などの映像表現・メディアにおいて,その企画・製作は多くの複層的なプロセスを経て生み出されており,それには個人的心情や事情だけでなく,時勢や社会の状況・構造などの影響を受ける。本書は太平洋戦争の戦時と占領期という時代的な転換期において,映像メディアと個人や社会の錯綜した関係を映像社会学の観点から明らかにしたユニークな業績である。
第Ⅰ部「写真家の誕生と戦時・占領」では写真家・木村伊兵衛の戦時期の満州と敗戦後の活動を通して「報道写真」誕生とその社会的文脈を辿る。
第Ⅱ部「つくり手の戦時・占領」では近代的経営による映画製作を実践した東宝のもとで活躍した,山本嘉次郎,黒澤明,今井正ら監督たちが戦争の記憶からどのような作品を生み出したのかを分析。
第Ⅲ部「メディアとしての映画の戦時・占領」ではアメリカによる占領期の資料アーカイブ「プランゲ文庫」を活用し,当時の雑誌,映画館に対する検閲や調査からメディアとしての映画を取り巻く環境を考察する。
第Ⅳ部「新しい現実と古い現実」ではアメリカ公文書館にある占領期の映像資料を使い,戦時とは逆に写される側となった日本人と日本はどのように記録されたのか,CIE(民間情報教育局)による上映記録から日本人が社会や政治の場でどのように行動していったのか,その複雑な実態を解明する。