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目次
序
Ⅰ 判断 反省的判断力から美的判断力へ
一 判断力の法
移行としての反省的判断力/批判と判断/理性の法廷/理性の法,自然法/自然の合目的性/法なき法
二 判断の崇高
反省的判断力から美的判断力へ/カント美学?/美と崇高のあいだ/美の不可能性/可能性としての崇高
Ⅱ 崇高 構想力と美的形式の問題
三 構想‐暴力
中間者としての構想力/構想力と理性の抗争/力学的崇高における暴力/美的総括の暴力とその対抗暴力/構想力の自己犠牲
四 吐き気
不定形なもの/美の形式/崇高の無形式/パラサブライムの反美学/apatheia
Interlude 物質的崇高
崇高の否定的な表出/穹窿と水鏡/建築術的視覚と物質的視覚(ポール・ド・マン)/美学イデオロギーの批判にむけて
Ⅲ 美的‐政治的 美学化と決断主義への抵抗
五 政治的判断力
趣味判断から政治的判断へ(アーレント)/探照灯としての芸術(ハーバーマス)/呈示不可能なもの(リオタール)/崇高の政治?/判断の前未来
六 決断の帰趨
決定におけるアポリアの経験(デリダ)/例外状態における主権的決断(シュミット)/決断主義の帰結/主権的決断から受動的決断へ/他者の責任を負うこと/政治的ロマン主義を超えて
結 論
Ⅰ 判断 反省的判断力から美的判断力へ
一 判断力の法
移行としての反省的判断力/批判と判断/理性の法廷/理性の法,自然法/自然の合目的性/法なき法
二 判断の崇高
反省的判断力から美的判断力へ/カント美学?/美と崇高のあいだ/美の不可能性/可能性としての崇高
Ⅱ 崇高 構想力と美的形式の問題
三 構想‐暴力
中間者としての構想力/構想力と理性の抗争/力学的崇高における暴力/美的総括の暴力とその対抗暴力/構想力の自己犠牲
四 吐き気
不定形なもの/美の形式/崇高の無形式/パラサブライムの反美学/apatheia
Interlude 物質的崇高
崇高の否定的な表出/穹窿と水鏡/建築術的視覚と物質的視覚(ポール・ド・マン)/美学イデオロギーの批判にむけて
Ⅲ 美的‐政治的 美学化と決断主義への抵抗
五 政治的判断力
趣味判断から政治的判断へ(アーレント)/探照灯としての芸術(ハーバーマス)/呈示不可能なもの(リオタール)/崇高の政治?/判断の前未来
六 決断の帰趨
決定におけるアポリアの経験(デリダ)/例外状態における主権的決断(シュミット)/決断主義の帰結/主権的決断から受動的決断へ/他者の責任を負うこと/政治的ロマン主義を超えて
結 論
内容説明
カントは〈判断〉について教えることはできず,それは特殊な才能に由来すると言う。判断力は知っていることにおいてではなく,それを用いることにおいて発揮される能力である。豊富な知識のある医者や政治家が規則の適用にあたって,容易に誤りを犯すことがあるということである。
第三批判書『判断力批判』は,判断力の問題を反省的判断力,とりわけ美的判断力を通して探求する。この問いは20世紀になり,趣味判断や美学の問題にとどまらず,政治的判断力や決断主義の問題へと展開し,カントの批判哲学の新たな地平を開いた。
著者はカントから現代思想のアーレント,リオタール,シュミット,デリダへとつながる文脈を踏まえ,美的な観点からは「崇高の思考」として,政治的な観点からは「決定の思考」として判断力を特徴づけ,「美的なもの」と「政治的なもの」の関係を原典の解読を通して明らかにする。
カントの理性主義の限界を考察し,カント美学の問題圏に胚胎していた判断(力)の政治への問いと射程を明確にするとともに,第三批判書の独自の現代的意義を示す,気鋭の研究者による意欲的な業績。
第三批判書『判断力批判』は,判断力の問題を反省的判断力,とりわけ美的判断力を通して探求する。この問いは20世紀になり,趣味判断や美学の問題にとどまらず,政治的判断力や決断主義の問題へと展開し,カントの批判哲学の新たな地平を開いた。
著者はカントから現代思想のアーレント,リオタール,シュミット,デリダへとつながる文脈を踏まえ,美的な観点からは「崇高の思考」として,政治的な観点からは「決定の思考」として判断力を特徴づけ,「美的なもの」と「政治的なもの」の関係を原典の解読を通して明らかにする。
カントの理性主義の限界を考察し,カント美学の問題圏に胚胎していた判断(力)の政治への問いと射程を明確にするとともに,第三批判書の独自の現代的意義を示す,気鋭の研究者による意欲的な業績。