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目次
凡例
はじめに
1 『精神現象学』とその時代
2 「学」の歴史的成立の正当化としての『精神現象学』
3 本書の着眼点とアプローチ
4 各章の概要
序章 哲学の歴史的成立の正当化という課題――予備的考察
1 「学」と『精神現象学』――研究史の概観
2 本書のテーゼの諸前提――「学」の-成立の-正当化
3 『精神現象学』と「学」の歴史性の問題――「学」の歴史哲学的正当化論
第1部 哲学が生成する前に――初期イェーナ時代の諸構想――
第1章 初期イェーナ時代における哲学の端緒構想――論理・意識・歴史
1 哲学の端緒という問題
2 二つの「導入」と哲学の「登場」――バウムの整理に従って
3 「哲学への導入」としてのイェーナ論理学?――デュージング説の検討
4 「主観的導入」論とその具体相――哲学の外部から内部へ
5 「世界歴史における哲学の登場」論――「哲学の欲求」が現れる世界精神の「今」
6 世界歴史と個人における哲学の始まり
第2章 「哲学の欲求」から「哲学の歴史」へ――シェリングとラインホルトの間で
1 「世界歴史における哲学の登場」論の掘り下げ
2 『差異論文』とは何か――シェリング哲学+ヘーゲル的反省?
3 ラインホルト批判の内実――先行研究の検討
4 「哲学の欲求」再考――『概観寄稿集』との関係で
5 「哲学の歴史」の位置付け――哲学の成立以前か,成立した哲学の内部か
6 「哲学の欲求」の捉え直しとしての「哲学の歴史」
7 「哲学の欲求」の行方
第3章 「哲学への導入」としての「経験」――カント受容の一側面
1 「主観的導入」論としての『精神現象学』の起源
2 「自己意識の歴史」は,「学」への「主観的導入」か?
3 カテゴリーの超越論的演繹の可能性――「信仰と知」カント章の問題
4 「絶対的同一性」の根拠としての「統覚」
5 カント受容のもう一つの焦点――「構想力」の統一作用
6 「信仰と知」における「経験」概念の位置付けと構造
7 「意識の経験」概念の成立に向けて
第2部 生成する哲学の全体像――『精神現象学』の建築術――
第4章 生成する「意識の経験」――端緒における方法の規定
1 方法規定の根拠という問題
2 端緒における方法論の課題
3 意識の概念――知と自体の規定
4 〈我々〉にとっての意識の知と真理
5 意識の自己吟味と〈我々〉の観望
6 意識による或るものの知の吟味/自己吟味の実相
7 新しい対象の生成――あるいは,「我々によって」捉え返された吟味の運動
8 「意識の経験」の必然的成立,もしくは,方法の規定
9 緒論の方法論的意義について
第5章 「意識の経験」の総体性――理論構成論①
1 「意識の経験」の理論構成機能
2 「意識の経験」における必然性と完璧性――先行研究の検討
3 「意識の経験」の構造――緒論の叙述に即して
4 意識とその対象としての実体――意識から理性へ
5 なぜ,理性は精神へ移行するのか――「意識の経験」と「精神の運動」
6 「意識の経験」の消息――『精神現象学』後半部について
7 「意識の経験」が展開することの意味
第6章 「精神の運動」の重層性――理論構成論②
1 「精神の運動」の理論構成機能
2 「精神の運動」の一般構造――実体=主体説の検討を通じて
3 精神章を貫徹する「精神の運動」――実体=主体説に即して
4 宗教章における「精神の運動」
5 精神の形式と対象性――精神章と宗教章の差異をめぐって
6 絶対知章における「精神の運動」――絶対知章の理論構成論的意義
7 『精神現象学』の理論構成の総体性
第3部 生成のただ中で――自己意識・宗教・絶対知――
第7章 世界を欠いた意識の関係――自己意識章について
1 自己意識章の課題
2 予備的考察――『イェーナ体系構想III』精神哲学における社会の形成
3 「主人と奴隷」論は何を描いているのか
4 自他関係を認識しない主人と奴隷
5 ヘーゲルの自己意識概念の核心――ピピンの認識論的解釈への批判
6 意識にとっての世界の生成――「不幸な意識」の経験
7 自己意識章と「世界」の認識
第8章 運命としての精神――宗教章について
1 『精神現象学』の中の宗教史?
2 キリスト教の成立要因――先行研究の検討
3 「運命の精神」の叙述
4 実体の主体化としての「運命の精神」
5 キリスト教の成立における「意識の経験」
6 宗教章の基底にある精神の運命
第9章 時間の抹消による現在の反省――絶対知章について
1 問題としての「時間の抹消」
2 精神の歴史/時間の抹消/「学」――先行研究の検討
3 「時間の抹消」論の概要とその背景
4 「精神の歴史」の端緒と帰結――宗教と哲学の歴史
5 「学」が成立する歴史的現在――『精神現象学』序説の観点から
6 「学」が成立する没歴史的現在――『精神現象学』緒論の観点から
7 ヘーゲル思想形成史の観点から
第4部 哲学が生成した,そのあとで――ポスト『精神現象学』の帰趨――
第10章 体系構想の根本変容――『エンツィクロペディ』体系へ
1 動揺する「学の体系」
2 体系構想の変遷経緯――『精神現象学』の位置付け変更の問題性
3 従来の解釈の検討――対象か課題か,あるいは,どのような課題か
4 「学」の「生成」とその難点――『エンツィクロペディ』第25節をめぐって
5 「学」の成立の一回性――「学」の正当化論としての『精神現象学』の限界
6 『精神現象学』後への眼差し
第11章 哲学的公衆としての〈我々〉――フィヒテとの対比を通して
1 『精神現象学』における〈我々〉という問題
2 解釈学モデルと先導者モデル――『精神現象学』における〈我々〉の位置付け
3 「学」の生成に巻き込まれる〈我々〉――感性的確信に即して
4 『精神現象学』とフィヒテの初期知識学――〈我々〉とは誰か
5 「公衆」としての〈我々〉の範囲と性質――『精神現象学』序説を通じて
6 普遍的個人の教養形成,あるいは,「啓蒙」――『精神現象学』のもう一つの意義
7 ポスト『精神現象学』の『精神現象学』
終章 哲学のアクチュアリティの問題――ヘーゲル哲学の現在に向けて
1 「学」としての哲学の歴史的成立というアポリア
2 「学」の歴史的成立の必然性と偶然性
3 『精神現象学』における歴史性――イェシュケ解釈の批判的検討
4 「学」の成立に至る歴史の三つの側面
5 「自体」から「対自存在」への「転換」――意識/精神の諸形態の系列の必然性
6 〈我々〉,事実性,偶然性
7 『精神現象学』の可能性を見据えて――フーコーの「現在への新しい問い」
おわりに
あとがき
参考文献
初出
人名・書名索引
はじめに
1 『精神現象学』とその時代
2 「学」の歴史的成立の正当化としての『精神現象学』
3 本書の着眼点とアプローチ
4 各章の概要
序章 哲学の歴史的成立の正当化という課題――予備的考察
1 「学」と『精神現象学』――研究史の概観
2 本書のテーゼの諸前提――「学」の-成立の-正当化
3 『精神現象学』と「学」の歴史性の問題――「学」の歴史哲学的正当化論
第1部 哲学が生成する前に――初期イェーナ時代の諸構想――
第1章 初期イェーナ時代における哲学の端緒構想――論理・意識・歴史
1 哲学の端緒という問題
2 二つの「導入」と哲学の「登場」――バウムの整理に従って
3 「哲学への導入」としてのイェーナ論理学?――デュージング説の検討
4 「主観的導入」論とその具体相――哲学の外部から内部へ
5 「世界歴史における哲学の登場」論――「哲学の欲求」が現れる世界精神の「今」
6 世界歴史と個人における哲学の始まり
第2章 「哲学の欲求」から「哲学の歴史」へ――シェリングとラインホルトの間で
1 「世界歴史における哲学の登場」論の掘り下げ
2 『差異論文』とは何か――シェリング哲学+ヘーゲル的反省?
3 ラインホルト批判の内実――先行研究の検討
4 「哲学の欲求」再考――『概観寄稿集』との関係で
5 「哲学の歴史」の位置付け――哲学の成立以前か,成立した哲学の内部か
6 「哲学の欲求」の捉え直しとしての「哲学の歴史」
7 「哲学の欲求」の行方
第3章 「哲学への導入」としての「経験」――カント受容の一側面
1 「主観的導入」論としての『精神現象学』の起源
2 「自己意識の歴史」は,「学」への「主観的導入」か?
3 カテゴリーの超越論的演繹の可能性――「信仰と知」カント章の問題
4 「絶対的同一性」の根拠としての「統覚」
5 カント受容のもう一つの焦点――「構想力」の統一作用
6 「信仰と知」における「経験」概念の位置付けと構造
7 「意識の経験」概念の成立に向けて
第2部 生成する哲学の全体像――『精神現象学』の建築術――
第4章 生成する「意識の経験」――端緒における方法の規定
1 方法規定の根拠という問題
2 端緒における方法論の課題
3 意識の概念――知と自体の規定
4 〈我々〉にとっての意識の知と真理
5 意識の自己吟味と〈我々〉の観望
6 意識による或るものの知の吟味/自己吟味の実相
7 新しい対象の生成――あるいは,「我々によって」捉え返された吟味の運動
8 「意識の経験」の必然的成立,もしくは,方法の規定
9 緒論の方法論的意義について
第5章 「意識の経験」の総体性――理論構成論①
1 「意識の経験」の理論構成機能
2 「意識の経験」における必然性と完璧性――先行研究の検討
3 「意識の経験」の構造――緒論の叙述に即して
4 意識とその対象としての実体――意識から理性へ
5 なぜ,理性は精神へ移行するのか――「意識の経験」と「精神の運動」
6 「意識の経験」の消息――『精神現象学』後半部について
7 「意識の経験」が展開することの意味
第6章 「精神の運動」の重層性――理論構成論②
1 「精神の運動」の理論構成機能
2 「精神の運動」の一般構造――実体=主体説の検討を通じて
3 精神章を貫徹する「精神の運動」――実体=主体説に即して
4 宗教章における「精神の運動」
5 精神の形式と対象性――精神章と宗教章の差異をめぐって
6 絶対知章における「精神の運動」――絶対知章の理論構成論的意義
7 『精神現象学』の理論構成の総体性
第3部 生成のただ中で――自己意識・宗教・絶対知――
第7章 世界を欠いた意識の関係――自己意識章について
1 自己意識章の課題
2 予備的考察――『イェーナ体系構想III』精神哲学における社会の形成
3 「主人と奴隷」論は何を描いているのか
4 自他関係を認識しない主人と奴隷
5 ヘーゲルの自己意識概念の核心――ピピンの認識論的解釈への批判
6 意識にとっての世界の生成――「不幸な意識」の経験
7 自己意識章と「世界」の認識
第8章 運命としての精神――宗教章について
1 『精神現象学』の中の宗教史?
2 キリスト教の成立要因――先行研究の検討
3 「運命の精神」の叙述
4 実体の主体化としての「運命の精神」
5 キリスト教の成立における「意識の経験」
6 宗教章の基底にある精神の運命
第9章 時間の抹消による現在の反省――絶対知章について
1 問題としての「時間の抹消」
2 精神の歴史/時間の抹消/「学」――先行研究の検討
3 「時間の抹消」論の概要とその背景
4 「精神の歴史」の端緒と帰結――宗教と哲学の歴史
5 「学」が成立する歴史的現在――『精神現象学』序説の観点から
6 「学」が成立する没歴史的現在――『精神現象学』緒論の観点から
7 ヘーゲル思想形成史の観点から
第4部 哲学が生成した,そのあとで――ポスト『精神現象学』の帰趨――
第10章 体系構想の根本変容――『エンツィクロペディ』体系へ
1 動揺する「学の体系」
2 体系構想の変遷経緯――『精神現象学』の位置付け変更の問題性
3 従来の解釈の検討――対象か課題か,あるいは,どのような課題か
4 「学」の「生成」とその難点――『エンツィクロペディ』第25節をめぐって
5 「学」の成立の一回性――「学」の正当化論としての『精神現象学』の限界
6 『精神現象学』後への眼差し
第11章 哲学的公衆としての〈我々〉――フィヒテとの対比を通して
1 『精神現象学』における〈我々〉という問題
2 解釈学モデルと先導者モデル――『精神現象学』における〈我々〉の位置付け
3 「学」の生成に巻き込まれる〈我々〉――感性的確信に即して
4 『精神現象学』とフィヒテの初期知識学――〈我々〉とは誰か
5 「公衆」としての〈我々〉の範囲と性質――『精神現象学』序説を通じて
6 普遍的個人の教養形成,あるいは,「啓蒙」――『精神現象学』のもう一つの意義
7 ポスト『精神現象学』の『精神現象学』
終章 哲学のアクチュアリティの問題――ヘーゲル哲学の現在に向けて
1 「学」としての哲学の歴史的成立というアポリア
2 「学」の歴史的成立の必然性と偶然性
3 『精神現象学』における歴史性――イェシュケ解釈の批判的検討
4 「学」の成立に至る歴史の三つの側面
5 「自体」から「対自存在」への「転換」――意識/精神の諸形態の系列の必然性
6 〈我々〉,事実性,偶然性
7 『精神現象学』の可能性を見据えて――フーコーの「現在への新しい問い」
おわりに
あとがき
参考文献
初出
人名・書名索引
内容説明
ヘーゲルの主著『精神現象学』(1807)は難解なことに加え,その後のヘーゲル自身の思索の展開や体系との関連から不完全な著作と言われることもある。本書は,ヘーゲル哲学体系の中に『精神現象学』を位置付けながら,「「学」としての哲学の歴史的生成と正当化」というモチーフのもとに包括的に解釈した本格的業績である。
ここでは『精神現象学』を,意識の経験という「方法論」,意識の諸形式による「理論構成論」,そして『現象学』の形成とその後の展開を結ぶ「思想形成史」の3つの観点から考察する。
第1部は思想形成史のアプローチから,初期イェーナ時代(1801–02頃)の講義草稿,著作に基づいて『精神現象学』の根本モチーフへ繋がる絶対的な体系をどのように始めるべきか,「「学」の端緒」構想の発展史的起源を探る。
次に第2部において『精神現象学』の方法論と理論構成論を考察し,この著作全体が内在的に一貫した一つの過程であることを明らかにしていく。
そして第3部では自己意識章,宗教章,絶対知章の具体的な章に注目し,それらの運動過程を分析する。
第4部では,『精神現象学』における「学」の正当化がもたらしたものは何かを問う。「学の体系,第一部」とヘーゲル自身によって名付けられた『精神現象学』が,刊行後なぜ撤回されることになったのか? また「学」の成立に巻き込まれる意識/精神の運動を観望する〈我々〉とは何か?
本書は『精神現象学』で展開されるヘーゲルの思考の運動とその全体像を捉える意欲作である。
ここでは『精神現象学』を,意識の経験という「方法論」,意識の諸形式による「理論構成論」,そして『現象学』の形成とその後の展開を結ぶ「思想形成史」の3つの観点から考察する。
第1部は思想形成史のアプローチから,初期イェーナ時代(1801–02頃)の講義草稿,著作に基づいて『精神現象学』の根本モチーフへ繋がる絶対的な体系をどのように始めるべきか,「「学」の端緒」構想の発展史的起源を探る。
次に第2部において『精神現象学』の方法論と理論構成論を考察し,この著作全体が内在的に一貫した一つの過程であることを明らかにしていく。
そして第3部では自己意識章,宗教章,絶対知章の具体的な章に注目し,それらの運動過程を分析する。
第4部では,『精神現象学』における「学」の正当化がもたらしたものは何かを問う。「学の体系,第一部」とヘーゲル自身によって名付けられた『精神現象学』が,刊行後なぜ撤回されることになったのか? また「学」の成立に巻き込まれる意識/精神の運動を観望する〈我々〉とは何か?
本書は『精神現象学』で展開されるヘーゲルの思考の運動とその全体像を捉える意欲作である。