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意志と自由

一つの系譜学

意志と自由
著者 大西 克智
ジャンル 哲学・思想
出版年月日 2014/02/20
ISBN 9784862851758
判型・ページ数 A5・484ページ
定価 本体6,800円+税
在庫 在庫あり
 

目次

凡例/はしがき

序章 意志の自由という問題――人は「決定されていないから自由」なのか?
哲学史とその背後
第一節 思考の双極性
1 二項対立
2 外挿的思考
3 実感と概念
第二節 百年の困惑――「非決定の自由(libertas indifferentiae)」をめぐって
1 従順と放恣
2 ジルソンの呪縛
3 「最初の土台」,あるいはデカルト的「非決定」
第三節 再び,哲学史の背後
1 選択と自己決定
2 思考における順序と秩序
3 〈自然性という坂を遡る〉
第一章 問題の淵源――アウグスティヌスと〈在りて在りうべからざるもの〉
第四カノン
第一節 意志と自由
1 神の掌中にある人間の意志
2 二項対立の不在と唯一の自由
3 自律性の向かう先
第二節 悪の由来
1 「欠損(defectus, defectio)」あるいは〈ありて在りうべからざるもの〉
2 「中間(medium)」という〈規定不能性〉
3 「深淵(profundum)」と思考の内在志向性
第三節 閉ざされた深淵
1 失われた「大いなる自由」
2 「悦楽の原理」とモリニスト・パスカル
3 近世自由論の淵源
第四節 ストア派の自由意志論について
1 『神の国』から『運命について』へ遡る
2 禁じられた反実仮想
3 ? potestas ad opposita ? の否認が意味するもの
第二章 問題の臨界点――モリナによる『コンコルディア』と「罪を犯す自由」
破 断
第一節 定義に賭けられたもの
1 「必然性からの自由」をめぐって
2 継起性の自由(オッカム)
3 同時性の自由(スコトゥス)
第二節 自由のリミットを突破する
1 「物理的先動」対「同時的恊働」
2 「無関心」な神
3 「罪を犯す自由(libertas ad peccandum)」
第三節 アウグスティヌスから遠く離れて
1 遺棄された「正直さ(rectitudo)」
2 捩じれた系譜と心理学への傾斜
3 モリニズム,「きわめて心地よく,きわめて魅惑的な」
第三章 問題の複雑化――スアレスによる『形而上学討論集』と自由意志の心理学
エゴイズム
第一節 第十九討論の周辺
1 形而上学としての原因論をはみ出すもの
2 分断された恊働論と自由論
3 「自己充足性」について
第二節 意志・知性・判断
1 「最終的実践判断」に抗して
2 「自由原因による過誤の根と起源」へ
3 放恣なる意志
第三節 自由論において隠された部分
1 比較と選択の潜在性
2 「意志的であること」と「自由であること」
3 意志の内と意志の外
第四章 問題の変貌――デカルトと「みずからを決定する力能」
デカルト論の構成
第一節 初期設定
1 ジェズイットにおけるア・プリオリなもの
2 コーパス上の事実から
3 問題が行き着くところ
第二節 第一のメラン宛書簡(1644年5月2日)
1 受動と能動の向こう側
2 「みずからを決定する実象的で肯定的な力能」
3 非決定への自己決定
第三節 デカルト的懐疑の生成
1 何が懐疑を担うのか
2 併走する意志と知性
3 「思い惑い」から「認識」へ
第五章 開かれた問題――経験と自由
「事実の感取」と「概念の構想」
第一節 自己覚知について
1 否定性と《Animadverti》
2 覚知の度合い
3 なぜ,いつ,意志について語るのか
第二節 第二のメラン宛書簡(1645年2月9日)
1 形而上学的な「善さ」と「悪魔的」な意志
2 心理学あるいは経験の領域へ
3 二つの自由とエゴイズムの影
第三節 「第四省察」における意志の定義をめぐって
1 誤解の原因
2 再論・自己決定と選択(定義Iの解釈)
3 連続性の回復
終章 系譜の先端――「欠損」の帰趨
補論 「受動(passion)」を「魂の情念(passions de l'?me)」に転ずるもの
Ⅰ 身体運動に対する情念の遅れと意志による同意
Ⅱ 背理の背後へ
Ⅲ 知覚と覚知
Ⅳ 受動と能動,あるいは能動による受動
Ⅴ 情念を魂に帰属させるもの(passions de l'?me)
Ⅵ 再び,身体に導かれて―さまざまなる情念へ(passions de l'?me)

おわりに/謝辞

引用文献一覧/人名索引

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内容説明

意志の自由という問題は,アウグスティヌスを起源として16世紀後半ジェズイット(イエズス会)の思想家たちによる単純化を通して対極まで押し進められた。
アウグスティヌスの自由は「知性に導かれて意志が真理を享受する」ことであり,ジェズイットでは知性を無視してその反対を選ぶ「非決定の自由」であった。
デカルトはそれら両極の思想を同時に享受したとされ,「彼は立場の一貫性を放棄したのか?」というデカルト自由意志論に対する難問が突き付けられた。それに対しこの百年間ほぼすべての研究者は「一貫性は失われていない」と答えてきたが,その理由が説得的に説明されることはなかった。
本書はその問いに本格的に答えるため,アウグスティヌスと後期ストアのモリナ,スアレスにおける自由の理論を原典に即して丁寧に読み解き,それを踏まえてデカルト自由意志論の解明を試みた貴重な業績である。
また哲学史的考察により,自由意志の底に二つの流れを発見する。「外部からの拘束を被っていないから自由なのだ」という〈実感(自然)の論理〉と,この論理の延長線上に反省や論証を通して見出せる〈思考(概念)の論理〉である。多くの学説の底流にあるこの緊張を通して生動的な自由思想の姿が見えてくる。

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