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目次
序論 ドイツ古典哲学の問題意識と理論的特質
第Ⅰ部 超越論的観念論の根本的モチーフの展開
1 カントにおける表象の客観的実在性の根拠づけ
2 「すべての実在性の根拠」としての「感情」――フィヒテにおける根拠づけ
3 シェリングの超越論的観念論の特性
第Ⅱ部 生と認識――ドイツ古典哲学におけるヤコービ問題
1 フィヒテにおける「生」の再構成
2 シェリングとヤコービ――有限者と無限者との連関をめぐって
3 ラインホルトとフィヒテ――ラインホルトにおける超越論的観念論から合理的実在論への展開をめぐって
第Ⅲ部 生と認識――ヘルダーリンにおける哲学的思索
1 私にとっての存在――ヘルダーリンのフィヒテ批判について
2 ヘルダーリンにおける美と詩の思想
3 ヘルダーリンにおける生の思想
4 ヘルダーリンにおける「生の認識」
第Ⅳ部 生と認識――ヘーゲル哲学体系のポテンシャル
1 信仰から認識へ
2 「無限性」と「認識」――「超越論的観念論」としての論理学と形而上学
3 「現象学の論理学」再考
4 ヘーゲル哲学体系の原理・条件・方法――イェーナ時代の思想から
補説――最近のドイツとアメリカにおけるヘーゲル研究について
1 最近のドイツにおけるヘーゲル研究の諸傾向
2 ヘーゲルにおける「全体論」と「プラグマティズム」――ブランダムの『精神現象学』解釈について
3 フォルスターの『精神現象学』解釈について
第Ⅰ部 超越論的観念論の根本的モチーフの展開
1 カントにおける表象の客観的実在性の根拠づけ
2 「すべての実在性の根拠」としての「感情」――フィヒテにおける根拠づけ
3 シェリングの超越論的観念論の特性
第Ⅱ部 生と認識――ドイツ古典哲学におけるヤコービ問題
1 フィヒテにおける「生」の再構成
2 シェリングとヤコービ――有限者と無限者との連関をめぐって
3 ラインホルトとフィヒテ――ラインホルトにおける超越論的観念論から合理的実在論への展開をめぐって
第Ⅲ部 生と認識――ヘルダーリンにおける哲学的思索
1 私にとっての存在――ヘルダーリンのフィヒテ批判について
2 ヘルダーリンにおける美と詩の思想
3 ヘルダーリンにおける生の思想
4 ヘルダーリンにおける「生の認識」
第Ⅳ部 生と認識――ヘーゲル哲学体系のポテンシャル
1 信仰から認識へ
2 「無限性」と「認識」――「超越論的観念論」としての論理学と形而上学
3 「現象学の論理学」再考
4 ヘーゲル哲学体系の原理・条件・方法――イェーナ時代の思想から
補説――最近のドイツとアメリカにおけるヘーゲル研究について
1 最近のドイツにおけるヘーゲル研究の諸傾向
2 ヘーゲルにおける「全体論」と「プラグマティズム」――ブランダムの『精神現象学』解釈について
3 フォルスターの『精神現象学』解釈について
内容説明
ドイツ古典哲学の問題意識と理論的特質を,哲学者たちの歴史的連関および哲学的布置を通して明らかにする。
カントにおける超越論的観念論における表象の客観的実在性の根拠づけという根本的モチーフは「カントを越えて」いかに展開されたのか。ヤコービによる観念論批判の挑戦を受け,フィヒテ,シェリング,ヘルダーリン,ヘーゲルらはそれぞれに応答しつつ,表象の客観的実在性の根拠づけを人間的自我からではなく絶対者の立場から行うようになり,さらに反省による生の認識が伴う困難に対し,懐疑主義や神秘主義に陥ることなく所与の根拠づけによる学的体系あるいは導入構想により克服しようとしたことを見事に解明した。
1930年代に論理実証主義の立場からヘーゲルなどの「形而上学」が批判され,およそ「意識」や「表象」に依拠するドイツ観念論の哲学は言語論的転回の観点から「表象主義」として否認された。しかし戦後カントをはじめヘーゲル哲学の受容が行われ,今日では敵対していた大陸系哲学と英米系哲学の融合の試みがなされてきた。
本書はこのような学問的状況のなかでドイツ古典哲学の現代的意義と同時に,それ自体の固有の意味を探究することにより現代思想の位相を鮮明にした。
カントにおける超越論的観念論における表象の客観的実在性の根拠づけという根本的モチーフは「カントを越えて」いかに展開されたのか。ヤコービによる観念論批判の挑戦を受け,フィヒテ,シェリング,ヘルダーリン,ヘーゲルらはそれぞれに応答しつつ,表象の客観的実在性の根拠づけを人間的自我からではなく絶対者の立場から行うようになり,さらに反省による生の認識が伴う困難に対し,懐疑主義や神秘主義に陥ることなく所与の根拠づけによる学的体系あるいは導入構想により克服しようとしたことを見事に解明した。
1930年代に論理実証主義の立場からヘーゲルなどの「形而上学」が批判され,およそ「意識」や「表象」に依拠するドイツ観念論の哲学は言語論的転回の観点から「表象主義」として否認された。しかし戦後カントをはじめヘーゲル哲学の受容が行われ,今日では敵対していた大陸系哲学と英米系哲学の融合の試みがなされてきた。
本書はこのような学問的状況のなかでドイツ古典哲学の現代的意義と同時に,それ自体の固有の意味を探究することにより現代思想の位相を鮮明にした。