ホーム > カテナ・アウレア マタイ福音書註解 下
目次
凡例
第13章
第1-9節(§1)
第10-17節(§2)
第18-23節(§3)
第24-30節(§4)
第31-32節(§5)
第33節(§6)
第34-35節(§7)
第36-43節(§8)
第44節(§9)
第45-46節(§10)
第47-50節(§11)
第51-52節(§12)
第53-58節(§13)
第14章
第1-5節(§1)
第6-12節(§2)
第13-14節(§3)
第15-21節(§4)
第22-33節(§5)
第34-36節(§6)
第15章
第1-6節(§1)
第7-11節(§2)
第12-14節(§3)
第15-20節(§4)
第21-28節(§5)
第29-31節(§6)
第32-38節(§7)
第16章
第39-4節(§1)
第5-12節(§2)
第13-19節(§3)
第20-21節(§4)
第22-23節(§5)
第24-25節(§6)
第26-28節(§7)
第17章
第1-4節(§1)
第5-9節(§2)
第10-13節(§3)
第14-17節(§4)
第18-20節(§5)
第21-22節(§6)
第23-26節(§7)
第18章
第1-6節(§1)
第7-9節(§2)
第10-14節(§3)
第15-17節(§4)
第18-20節(§5)
第21-22節(§6)
第23-35節(§7)
第19章
第1-8節(§1)
第9節(§2)
第10-12節(§3)
第13-15節(§4)
第16-22節(§5)
第23-26節(§6)
第27-30節(§7)
第20章
第1-16節(§1)
第17-19節(§2)
第20-23節(§3)
第24-28節(§4)
第29-34節(§5)
第21章
第1-9節(§1)
第10-16節(§2)
第17-22節(§3)
第23-27節(§4)
第28-32節(§5)
第33-44節(§6)
第45-46節(§7)
第22章
第1-14節(§1)
第15-22節(§2)
第23-33節(§3)
第34-40節(§4)
第41-46節(§5)
第23章
第1-4節(§1)
第5-12節(§2)
第13節(§3)
第14節(§4)
第15節(§5)
第16-22節(§6)
第23-24節(§7)
第25-26節(§8)
第27-28節(§9)
第29-31節(§10)
第32-36節(§11)
第37-39節(§12)
第24章
第1-2節(§1)
第3-5節(§2)
第6-8節(§3)
第9-14節(§4)
第15-22節(§5)
第23-28節(§6)
第29-30a節(§7)
第30b節(§8)
第31節(§9)
第32-35節(§10)
第36-41節(§11)
第42-44節(§12)
第45-51節(§13)
第25章
第1-13節(§1)
第14-30節(§2)
第31-45節(§3)
第46節(§4)
第26章
第1-2節(§1)
第3-5節(§2)
第6-13節(§3)
第14-16節(§4)
第17-19節(§5)
第20-25節(§6)
第26節(§7)
第27-29節(§8)
第30-35節(§9)
第36-38節(§10)
第39-44節(§11)
第45-46節(§12)
第47-50節(§13)
第51-54節(§14)
第55-58節(§15)
第59-68節(§16)
第69-75節(§17)
第27章
第1-5節(§1)
第6-10節(§2)
第11-14節(§3)
第15-26節(§4)
第27-30節(§5)
第31-34節(§6)
第35-38節(§7)
第39-44節(§8)
第45-50節(§9)
第51-56節(§10)
第57-61節(§11)
第62-66節(§12)
第28章
第1-7節(§1)
第8-10節(§2)
第11-15節(§3)
第16-20節(§4)
解説
Ⅰ 聖書註解の歴史 2
1 ペトルス・コメストル
2 ペトルス・カントル
3 サン・シェールのフーゴー
4 ヘールズのアレクサンデル
Ⅱ 下巻の内容紹介
1 問題の所在
2 典拠とその代表的解釈
3 福音の徹底
4 信仰深く賢い僕
訳者あとがき
索引
第13章
第1-9節(§1)
第10-17節(§2)
第18-23節(§3)
第24-30節(§4)
第31-32節(§5)
第33節(§6)
第34-35節(§7)
第36-43節(§8)
第44節(§9)
第45-46節(§10)
第47-50節(§11)
第51-52節(§12)
第53-58節(§13)
第14章
第1-5節(§1)
第6-12節(§2)
第13-14節(§3)
第15-21節(§4)
第22-33節(§5)
第34-36節(§6)
第15章
第1-6節(§1)
第7-11節(§2)
第12-14節(§3)
第15-20節(§4)
第21-28節(§5)
第29-31節(§6)
第32-38節(§7)
第16章
第39-4節(§1)
第5-12節(§2)
第13-19節(§3)
第20-21節(§4)
第22-23節(§5)
第24-25節(§6)
第26-28節(§7)
第17章
第1-4節(§1)
第5-9節(§2)
第10-13節(§3)
第14-17節(§4)
第18-20節(§5)
第21-22節(§6)
第23-26節(§7)
第18章
第1-6節(§1)
第7-9節(§2)
第10-14節(§3)
第15-17節(§4)
第18-20節(§5)
第21-22節(§6)
第23-35節(§7)
第19章
第1-8節(§1)
第9節(§2)
第10-12節(§3)
第13-15節(§4)
第16-22節(§5)
第23-26節(§6)
第27-30節(§7)
第20章
第1-16節(§1)
第17-19節(§2)
第20-23節(§3)
第24-28節(§4)
第29-34節(§5)
第21章
第1-9節(§1)
第10-16節(§2)
第17-22節(§3)
第23-27節(§4)
第28-32節(§5)
第33-44節(§6)
第45-46節(§7)
第22章
第1-14節(§1)
第15-22節(§2)
第23-33節(§3)
第34-40節(§4)
第41-46節(§5)
第23章
第1-4節(§1)
第5-12節(§2)
第13節(§3)
第14節(§4)
第15節(§5)
第16-22節(§6)
第23-24節(§7)
第25-26節(§8)
第27-28節(§9)
第29-31節(§10)
第32-36節(§11)
第37-39節(§12)
第24章
第1-2節(§1)
第3-5節(§2)
第6-8節(§3)
第9-14節(§4)
第15-22節(§5)
第23-28節(§6)
第29-30a節(§7)
第30b節(§8)
第31節(§9)
第32-35節(§10)
第36-41節(§11)
第42-44節(§12)
第45-51節(§13)
第25章
第1-13節(§1)
第14-30節(§2)
第31-45節(§3)
第46節(§4)
第26章
第1-2節(§1)
第3-5節(§2)
第6-13節(§3)
第14-16節(§4)
第17-19節(§5)
第20-25節(§6)
第26節(§7)
第27-29節(§8)
第30-35節(§9)
第36-38節(§10)
第39-44節(§11)
第45-46節(§12)
第47-50節(§13)
第51-54節(§14)
第55-58節(§15)
第59-68節(§16)
第69-75節(§17)
第27章
第1-5節(§1)
第6-10節(§2)
第11-14節(§3)
第15-26節(§4)
第27-30節(§5)
第31-34節(§6)
第35-38節(§7)
第39-44節(§8)
第45-50節(§9)
第51-56節(§10)
第57-61節(§11)
第62-66節(§12)
第28章
第1-7節(§1)
第8-10節(§2)
第11-15節(§3)
第16-20節(§4)
解説
Ⅰ 聖書註解の歴史 2
1 ペトルス・コメストル
2 ペトルス・カントル
3 サン・シェールのフーゴー
4 ヘールズのアレクサンデル
Ⅱ 下巻の内容紹介
1 問題の所在
2 典拠とその代表的解釈
3 福音の徹底
4 信仰深く賢い僕
訳者あとがき
索引
内容説明
「カテナ・アウレア」(黄金の鎖)は正式には『四福音書連続註解』と言う。トマスがラテン教父(22名)とギリシア教父(57名)ら79名の教父のテキストから引用した文章をもとにした四福音書全体にわたる註解の集大成である。
膨大な文献と知恵の一大パノラマと言える本書は,キリスト教の精神のみならずヨーロッパの生活と文化を考えるうえでも,他に類を見ない第一級の資料である。
トマスのギリシア教父に対する知見の革新性,註解の量と質の高さにより当代の聖書解釈者や神学者,説教者にとっての宝庫とされ,カトリックの教義形成にも多大な影響を与えてきた。
セクションごとに,冒頭では話の筋がどういうものかを述べ,次に聖句の節を追いながら文学的・歴史的な意味が説明される。そして末尾ではヒラリウスやグレゴリウスなどの教える霊的意味が示される。トマスは実証神学について鋭敏な感覚を備えていたので,典拠に対し忠実に向き合い,全体のテキストを統一的に捉え見事に註解した。
下巻では第13章から最終28章までを註解する。四註解書の中で最大のマタイ福音書の註解が完結し,残りの註解を継続すると,全体で7000頁にも及ぶ一大事業となる。
わが国で本書はほとんど知られていないが,旧来のスコラ学者トマスのイメージを一新する画期的な本註解を通して「いかに生きるべきか」を考える現代の人々に豊かな知恵と勇気が与えられるに違いない。
膨大な文献と知恵の一大パノラマと言える本書は,キリスト教の精神のみならずヨーロッパの生活と文化を考えるうえでも,他に類を見ない第一級の資料である。
トマスのギリシア教父に対する知見の革新性,註解の量と質の高さにより当代の聖書解釈者や神学者,説教者にとっての宝庫とされ,カトリックの教義形成にも多大な影響を与えてきた。
セクションごとに,冒頭では話の筋がどういうものかを述べ,次に聖句の節を追いながら文学的・歴史的な意味が説明される。そして末尾ではヒラリウスやグレゴリウスなどの教える霊的意味が示される。トマスは実証神学について鋭敏な感覚を備えていたので,典拠に対し忠実に向き合い,全体のテキストを統一的に捉え見事に註解した。
下巻では第13章から最終28章までを註解する。四註解書の中で最大のマタイ福音書の註解が完結し,残りの註解を継続すると,全体で7000頁にも及ぶ一大事業となる。
わが国で本書はほとんど知られていないが,旧来のスコラ学者トマスのイメージを一新する画期的な本註解を通して「いかに生きるべきか」を考える現代の人々に豊かな知恵と勇気が与えられるに違いない。