ホーム > 在るものと本質について
目次
まえがき
解説 『在るものと本質について』における存在(エッセ)
Ⅰ トマスの「存在論」について
Ⅱ 「存在するもの(エンス)」・「本質(エッセンティア)」・「存在(エッセ)」
Ⅲ 複合実体と単純実体における「存在(エッセ)」
Ⅳ 心・身合一論と個体化の理論における「存在(エッセ)」
Ⅴ 結語――「存在(エッセ)そのもの」である神
在るものと本質について
序言
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章
第6章
訳者註解
解説 『在るものと本質について』における存在(エッセ)
Ⅰ トマスの「存在論」について
Ⅱ 「存在するもの(エンス)」・「本質(エッセンティア)」・「存在(エッセ)」
Ⅲ 複合実体と単純実体における「存在(エッセ)」
Ⅳ 心・身合一論と個体化の理論における「存在(エッセ)」
Ⅴ 結語――「存在(エッセ)そのもの」である神
在るものと本質について
序言
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章
第6章
訳者註解
内容説明
本書は従来,存在論あるいは形而上学の基礎概念や基本問題についての手頃な入門書ないしトマス独自の「存在」を核とする形而上学的革新の解説書とされた。
トマスの存在論的探究とは,神はわれわれの救いのために「自らを無にして」人間になったという受肉の神秘,すなわち真の神であって真の人間であるキリストの「存在」の神秘によって呼びおこされた驚異と讃美を根源とするものである。その神秘とは「最高の仕方で自己を被造物に伝える(自らを与え尽くす)」ところの最高善あるいは善性としての神の本質に他ならない。
「存在するもの」を最初に捉える「場」とは,感覚的に知覚している物質的な事物が存在する外界ではなく,われわれの精神や知性が自らの働きをふり返る,一種の自己認識に開かれる自己の内なる世界である。
存在するものの理解が成立するのは,知性が自己へと立ち帰ることを通じて遂行する判断の働きによる。精神が自己認識によって物体よりは高次の自らのあり方を学ぶことを通じすべての存在するものの第一の根源である存在そのものへと探究を進めることができる。
30歳前後で書かれた本書は,聖書の啓示により「神」と呼ばれる「存在」(エッセ),その「存在」を目指してトマスが遂行した根元的で徹底的な探究の試みである。トマスの全体像を理解するための基本文献。
トマスの存在論的探究とは,神はわれわれの救いのために「自らを無にして」人間になったという受肉の神秘,すなわち真の神であって真の人間であるキリストの「存在」の神秘によって呼びおこされた驚異と讃美を根源とするものである。その神秘とは「最高の仕方で自己を被造物に伝える(自らを与え尽くす)」ところの最高善あるいは善性としての神の本質に他ならない。
「存在するもの」を最初に捉える「場」とは,感覚的に知覚している物質的な事物が存在する外界ではなく,われわれの精神や知性が自らの働きをふり返る,一種の自己認識に開かれる自己の内なる世界である。
存在するものの理解が成立するのは,知性が自己へと立ち帰ることを通じて遂行する判断の働きによる。精神が自己認識によって物体よりは高次の自らのあり方を学ぶことを通じすべての存在するものの第一の根源である存在そのものへと探究を進めることができる。
30歳前後で書かれた本書は,聖書の啓示により「神」と呼ばれる「存在」(エッセ),その「存在」を目指してトマスが遂行した根元的で徹底的な探究の試みである。トマスの全体像を理解するための基本文献。