ホーム > 中世哲学講義 第四巻
目次
凡例
聖書略号
山田晶『中世哲学講義』について
昭和五三年度(一九七八年)前期講義
第一章 ヨハネ伝の序文(一)――序文にあらわれるロゴス
第二章 ヨハネ伝の序文(二)――イエスに帰せられる諸名称の歴史的背景
第三章 イエスに帰せられる名称(一)――預言者イエス
第四章 イエスに帰せられる名称(二)――プロフェーテースとナービイ
第五章 イエスに帰せられる名称(三)――イスラエルの伝統において預言者とよばれる三つのもの
第六章 イエスに帰せられる名称(四)――執筆預言者について
第七章 預言者における「ことば」の意味(一)――預言者イザヤ
第八章 預言者における「ことば」の意味(二)――イザヤの告発の「ことば」
第九章 預言者における「ことば」の意味(三)――イザヤ,政治的勧告の「ことば」
昭和五三年度(一九七八年)後期講義
第一〇章 預言者における「ことば」の意味(四)――イザヤ,予言としての預言
第一一章 預言者における「ことば」の意味(五)――イザヤ,三つの予言の意味
第一二章 預言者における「ことば」の意味(六)――イザヤ,荒廃の予言
第一三章 預言者における「ことば」の意味(七)――アッシリアとバビロニアの荒廃の予言
第一四章 預言者における「ことば」の意味(八)――全世界の荒廃の予言
第一五章 預言者における「ことば」の意味(九)――荒廃の三段階とその意味
第一六章 預言者における「ことば」の意味(一〇)――来たるべき荒廃の意味
第一七章 預言者における「ことば」の意味(一一)――荒廃から回復へ
第一八章 預言者における「ことば」の意味(一二)――回復の三段階
第一九章 預言者における「ことば」の意味(一三)――第二段階の回復
第二〇章 預言者における「ことば」の意味(一四)――シオンの回復の解釈
第二一章 預言者における「ことば」の意味(一五)――第三段階の回復
第二二章 預言者における「ことば」の意味(一六)――荒廃から回復への移行
第二三章 預言者における「ことば」の意味(一七)――「救い主」の予言
第二四章 預言者における「ことば」の意味(一八)――「王」たるメシアの予言
附加 イザヤが干与した政治的危機の第二の場合
昭和五四年度(一九七九年)前期講義
序
第一章 トマスの真理論(一)――二つの源泉,聖書と哲学
第二章 トマスの真理論(二)――彼の著作における真理論の位置
第三章 トマスの真理論(三)――彼の著作における真理論の位置,続き
第四章 トマスの真理論(四)――認識論としての真理論
第五章 トマスの真理論(五)――認識の主体に関する問題
第六章 トマスの真理論(六)――神の認識論と天使の認識論の成立可能の根拠に関わる問題
第七章 トマスの真理論(七)――神の認識論の方法としての人間認識における否定と完成の道
第八章 トマスの真理論(八)――神の認識対象の論における否定の道と完成の道・神の自己認識
第九章 トマスの真理論(九)――神の自己認識との比較における人間知性の自己認識
昭和五四年度(一九七九年)後期講義
第一〇章 トマスの真理論(一〇)――人間知性の自己認識
第十一章 トマスの真理論(一一)――人間知性の自己認識,続き
第十二章 トマスの真理論(一二)――人間精神の自己認識に関するトマス説とデカルト説との比較
第十三章 トマスの真理論(一三)――知性的魂の自己認識の主体的条件としての存在の現実態
第一四章 トマスの真理論(一四)――知性的魂の身体における現存としての存在の現実態
第一五章 トマスの真理論(一五)――知性的魂の存在の現実態による自己認識
第一六章 トマスの真理論(一六)――根源的自己認識の個別性と不明瞭性
第一七章 トマスの真理論(一七)――根原的自己認識のうちに含まれる世界
昭和五五年度(一九八〇年)前期講義
第一章 真理の問題
第二章 トマス『真理論』の構成
第三章 『真理論』における認識論の意味(一)――神,天使,人間を主体とする三つの認識論
第四章 『真理論』における認識論の意味(二)――トマスの認識論の立場からの近世哲学の認識の根拠づけ
第五章 『真理論』における認識論の意味(三)――真理のラチオとそれが見出される場所
第六章 『真理論』における真理の定義(一)――「ものと知性との対等」という定義の問題性
第七章 『真理論』における真理の定義(二)――「真は有である」という定義の問題性
昭和五五年度(一九八〇年)後期講義
第八章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(一)――『真理論』における定義と『ソリロクィア』における定義との関係
第九章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(二)――《真なるもの》の第一の規定
第一〇章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(三)――第一の規定から生ずる結論に対する「アウグスティヌス」の答
第一一章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(四)――第一の規定の前提についての「理性」の修正案
第一二章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(五)――「アウグスティヌス」が第四の修正案をとる理由
第一三章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(六)――「アウグスティヌス」が提示する第二の「真」の規定
第一四章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(七)――第二の規定に対する「理性」の問い
第一五章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(八)――「理性」の問いに対する「アウグスティヌス」の答,第三の規定
第一六章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(九)
後記
中世哲学講義総目次
山田晶参照文献一覧
索引(人名・聖書)
聖書略号
山田晶『中世哲学講義』について
昭和五三年度(一九七八年)前期講義
第一章 ヨハネ伝の序文(一)――序文にあらわれるロゴス
第二章 ヨハネ伝の序文(二)――イエスに帰せられる諸名称の歴史的背景
第三章 イエスに帰せられる名称(一)――預言者イエス
第四章 イエスに帰せられる名称(二)――プロフェーテースとナービイ
第五章 イエスに帰せられる名称(三)――イスラエルの伝統において預言者とよばれる三つのもの
第六章 イエスに帰せられる名称(四)――執筆預言者について
第七章 預言者における「ことば」の意味(一)――預言者イザヤ
第八章 預言者における「ことば」の意味(二)――イザヤの告発の「ことば」
第九章 預言者における「ことば」の意味(三)――イザヤ,政治的勧告の「ことば」
昭和五三年度(一九七八年)後期講義
第一〇章 預言者における「ことば」の意味(四)――イザヤ,予言としての預言
第一一章 預言者における「ことば」の意味(五)――イザヤ,三つの予言の意味
第一二章 預言者における「ことば」の意味(六)――イザヤ,荒廃の予言
第一三章 預言者における「ことば」の意味(七)――アッシリアとバビロニアの荒廃の予言
第一四章 預言者における「ことば」の意味(八)――全世界の荒廃の予言
第一五章 預言者における「ことば」の意味(九)――荒廃の三段階とその意味
第一六章 預言者における「ことば」の意味(一〇)――来たるべき荒廃の意味
第一七章 預言者における「ことば」の意味(一一)――荒廃から回復へ
第一八章 預言者における「ことば」の意味(一二)――回復の三段階
第一九章 預言者における「ことば」の意味(一三)――第二段階の回復
第二〇章 預言者における「ことば」の意味(一四)――シオンの回復の解釈
第二一章 預言者における「ことば」の意味(一五)――第三段階の回復
第二二章 預言者における「ことば」の意味(一六)――荒廃から回復への移行
第二三章 預言者における「ことば」の意味(一七)――「救い主」の予言
第二四章 預言者における「ことば」の意味(一八)――「王」たるメシアの予言
附加 イザヤが干与した政治的危機の第二の場合
昭和五四年度(一九七九年)前期講義
序
第一章 トマスの真理論(一)――二つの源泉,聖書と哲学
第二章 トマスの真理論(二)――彼の著作における真理論の位置
第三章 トマスの真理論(三)――彼の著作における真理論の位置,続き
第四章 トマスの真理論(四)――認識論としての真理論
第五章 トマスの真理論(五)――認識の主体に関する問題
第六章 トマスの真理論(六)――神の認識論と天使の認識論の成立可能の根拠に関わる問題
第七章 トマスの真理論(七)――神の認識論の方法としての人間認識における否定と完成の道
第八章 トマスの真理論(八)――神の認識対象の論における否定の道と完成の道・神の自己認識
第九章 トマスの真理論(九)――神の自己認識との比較における人間知性の自己認識
昭和五四年度(一九七九年)後期講義
第一〇章 トマスの真理論(一〇)――人間知性の自己認識
第十一章 トマスの真理論(一一)――人間知性の自己認識,続き
第十二章 トマスの真理論(一二)――人間精神の自己認識に関するトマス説とデカルト説との比較
第十三章 トマスの真理論(一三)――知性的魂の自己認識の主体的条件としての存在の現実態
第一四章 トマスの真理論(一四)――知性的魂の身体における現存としての存在の現実態
第一五章 トマスの真理論(一五)――知性的魂の存在の現実態による自己認識
第一六章 トマスの真理論(一六)――根源的自己認識の個別性と不明瞭性
第一七章 トマスの真理論(一七)――根原的自己認識のうちに含まれる世界
昭和五五年度(一九八〇年)前期講義
第一章 真理の問題
第二章 トマス『真理論』の構成
第三章 『真理論』における認識論の意味(一)――神,天使,人間を主体とする三つの認識論
第四章 『真理論』における認識論の意味(二)――トマスの認識論の立場からの近世哲学の認識の根拠づけ
第五章 『真理論』における認識論の意味(三)――真理のラチオとそれが見出される場所
第六章 『真理論』における真理の定義(一)――「ものと知性との対等」という定義の問題性
第七章 『真理論』における真理の定義(二)――「真は有である」という定義の問題性
昭和五五年度(一九八〇年)後期講義
第八章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(一)――『真理論』における定義と『ソリロクィア』における定義との関係
第九章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(二)――《真なるもの》の第一の規定
第一〇章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(三)――第一の規定から生ずる結論に対する「アウグスティヌス」の答
第一一章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(四)――第一の規定の前提についての「理性」の修正案
第一二章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(五)――「アウグスティヌス」が第四の修正案をとる理由
第一三章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(六)――「アウグスティヌス」が提示する第二の「真」の規定
第一四章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(七)――第二の規定に対する「理性」の問い
第一五章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(八)――「理性」の問いに対する「アウグスティヌス」の答,第三の規定
第一六章 『ソリロクィア』における《真なるもの》の定義の試み(九)
後記
中世哲学講義総目次
山田晶参照文献一覧
索引(人名・聖書)
内容説明
京都大学の学部生に向けた昭和41年から58年(1966-83)まで18年に及ぶ「中世哲学」の自筆講義録を全5巻に収めた,他に類のない貴重な記録である。講義は明快な語り口とともに,そのつどの関心や研究成果を織り交ぜ,中世哲学の意味や意義,そして歴史的に形成されてきた中世哲学の背景など,多様なヨーロッパ中世への招待となっている。
本巻では昭和53-55年度までの3年間の講義を収載する。
初めにロゴスとしての預言者イエスへの問いに始まり,旧約のイザヤの「ことば」を中心に,預言者に託された神の「ことば」としての「ロゴス」を考察する。イスラエルの民がイスラエル王国とユダ王国に分裂して苦難の道を歩む中,時々に発せられる預言者の「ことば」を吟味することにより,旧約世界とユダヤ教の意味が明らかにされる。
次にトマスの真理論について,『真理論』(『真理についての討論集』)に即して神を認識主体とする神の認識論を論じつつ,『神学大全』により人間知性の自己認識の多面的な姿を丁寧に紹介する。さらに『真理論』の構成を分析して,トマス認識論の特色や真理の定義の問題を考察する。
最後にアウグスティヌス『ソリロクィア』における「真なるもの」の定義を試み,中世認識論の位相を解明する。
真理論は著者が長年にわたり関心をもっていたテーマであり,その独自の視点や精密な分析は,学生ばかりでなく研究者にとっても示唆に富むものであろう。
本巻では昭和53-55年度までの3年間の講義を収載する。
初めにロゴスとしての預言者イエスへの問いに始まり,旧約のイザヤの「ことば」を中心に,預言者に託された神の「ことば」としての「ロゴス」を考察する。イスラエルの民がイスラエル王国とユダ王国に分裂して苦難の道を歩む中,時々に発せられる預言者の「ことば」を吟味することにより,旧約世界とユダヤ教の意味が明らかにされる。
次にトマスの真理論について,『真理論』(『真理についての討論集』)に即して神を認識主体とする神の認識論を論じつつ,『神学大全』により人間知性の自己認識の多面的な姿を丁寧に紹介する。さらに『真理論』の構成を分析して,トマス認識論の特色や真理の定義の問題を考察する。
最後にアウグスティヌス『ソリロクィア』における「真なるもの」の定義を試み,中世認識論の位相を解明する。
真理論は著者が長年にわたり関心をもっていたテーマであり,その独自の視点や精密な分析は,学生ばかりでなく研究者にとっても示唆に富むものであろう。