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知泉学術叢書18-2(通巻34)
著者 | フランソワ・グザヴィエ・ピュタラ 著 保井 亮人 訳 |
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ジャンル | 哲学・思想 > 中世哲学 |
シリーズ | 知泉学術叢書 |
出版年月日 | 2024/10/30 |
ISBN | 9784862854193 |
判型・ページ数 | 新書・816ページ |
定価 | 本体7,200円+税 |
在庫 | 在庫あり |
目次
凡例
序言
第1章 アクアスパルタのマテウス
1 導入
2 一般的な教え
2.1 霊魂の教えならびに霊魂と身体の結合の教え
2.2 認識論の諸相
2.3 三種類の認識
3 自己の直接的認識
3.1 トマス・アクィナスと間接的認識
3.2 トマスを超え出る教え
3.3 自己の直接的認識
3.4 自己の直接的認識における形象
3.5 結論
4 様々な異論に対するマテウスの見解
4.1 先行する働き
4.2 自己の直接的認識における形象
5 結論
第2章 ペトルス・ヨハネス・オリヴィ
1 導入
2 アリストテレスの主張する間接的認識に抗して
3 経験と推論による自己認識
3.1 自己の経験的認識
3.2 理性的推論による自己認識
3.3 本質を通じた自己認識
4 結論
4.1 「アリストテレスの信奉者」との対立
4.2 オリヴィの自己認識論
第3章 ロジャー・マーストン
1 導入
1.1 歴史的背景
1.2 マーストンのテキストの独創性
2 トマス思想の批判
2.1 純粋可能態としての知性――『神学大全』第1部87問1項
2.2 自己認識の原理と多数の同時的働きの不可能性――『神学大全』第1部87問3項
2.3 天使の自己認識―『神学大全』第1部87問3項
2.4 結論
3 マーストンの教え
3.1 導入
3.2 自己意識と自己の何性の認識
3.3 何性の認識を獲得する三つの方法
3.4 あらゆる何性の認識における形象の必要性
4 結論
第4章 サットンのトマス
1 導入
2 トマス主義における一般的解答
2.1 新アウグスティヌス主義における古典的反論の指摘
2.2 経験,ならびに新アウグスティヌス主義の見解の誤り
2.3 理論的正当化
3 霊魂の可知性――『任意討論集』第2巻第14問
3.1 新アウグスティヌス主義の論拠
3.2 なぜ知性は常に霊魂を認識しないのか
3.3 付随する問題――能動知性と可能知性
4 可能知性の可知性――『任意討論集』第1巻第14問,『定期討論集』第22問
4.1 あらゆる可知性の二つの条件
4.2 知性は「他のものと同じように」可知的である
4.3 知性と質料の比較
4.4 知性の純粋な可能態性とフクロウの比喩――『定期討論集』第3問
5 形象を通じた自己認識
5.1 人間の立ち帰りの位置づけと様態
5.2 習慣的認識の位置づけ
5.3 「自分自身を通じて自分自身を認識する」という表現の様々な意味
5.4 アウグスティヌスとアリストテレスの調和
6 結論
6.1 立ち帰りのプロセスの体系化
6.2 自己認識の類比的意味の消失
第5章 フォンテーヌのゴドフロワ
1 導入
2 認識と自己認識に関する理論
2.1 トマス主義に対する批判的忠実性
2.2 新アウグスティヌス主義への反対
2.3 トマス主義に対する独立性
3 知性の自己認識
3.1 知性の二つの様態
3.2 異論と解答
4 結論
第6章 フライベルクのディートリヒ
1 導入
1.1 ディートリヒについて
1.2 ライン学派の独創性
2 予備的考察
2.1 認識の三形態
2.2 本質的原因性
2.3 知性としての知性
2.4 実体性,働き,関係
3 知性と自己認識
3.1 可能知性
3.2 能動知性
4 自己認識から派生する諸問題
4.1 存在するものの似像としての能動知性
4.2 神に還帰する能動知性
4.3 神を受容できるものとしての能動知性
5 結論
5.1 自己の対象化
5.2 知性のいかなる隔たりもない近さ
結論
1 自己認識の逆説
1.1 トマス・アクィナス
1.2 フライベルクのディートリヒ
2 自己の対象化
3 自己認識の展開
3.1 様々に一致する見解
3.2 思想の運動
3.3 自己認識と神認識
解説
アクアスパルタのマテウス
ヨハネス・オリヴィ
ロジャー・マーストン
サットンのトマス
フォンテーヌのゴドフロワ
フライベルクのディートリヒ
訳者あとがき
文献表
索引
序言
第1章 アクアスパルタのマテウス
1 導入
2 一般的な教え
2.1 霊魂の教えならびに霊魂と身体の結合の教え
2.2 認識論の諸相
2.3 三種類の認識
3 自己の直接的認識
3.1 トマス・アクィナスと間接的認識
3.2 トマスを超え出る教え
3.3 自己の直接的認識
3.4 自己の直接的認識における形象
3.5 結論
4 様々な異論に対するマテウスの見解
4.1 先行する働き
4.2 自己の直接的認識における形象
5 結論
第2章 ペトルス・ヨハネス・オリヴィ
1 導入
2 アリストテレスの主張する間接的認識に抗して
3 経験と推論による自己認識
3.1 自己の経験的認識
3.2 理性的推論による自己認識
3.3 本質を通じた自己認識
4 結論
4.1 「アリストテレスの信奉者」との対立
4.2 オリヴィの自己認識論
第3章 ロジャー・マーストン
1 導入
1.1 歴史的背景
1.2 マーストンのテキストの独創性
2 トマス思想の批判
2.1 純粋可能態としての知性――『神学大全』第1部87問1項
2.2 自己認識の原理と多数の同時的働きの不可能性――『神学大全』第1部87問3項
2.3 天使の自己認識―『神学大全』第1部87問3項
2.4 結論
3 マーストンの教え
3.1 導入
3.2 自己意識と自己の何性の認識
3.3 何性の認識を獲得する三つの方法
3.4 あらゆる何性の認識における形象の必要性
4 結論
第4章 サットンのトマス
1 導入
2 トマス主義における一般的解答
2.1 新アウグスティヌス主義における古典的反論の指摘
2.2 経験,ならびに新アウグスティヌス主義の見解の誤り
2.3 理論的正当化
3 霊魂の可知性――『任意討論集』第2巻第14問
3.1 新アウグスティヌス主義の論拠
3.2 なぜ知性は常に霊魂を認識しないのか
3.3 付随する問題――能動知性と可能知性
4 可能知性の可知性――『任意討論集』第1巻第14問,『定期討論集』第22問
4.1 あらゆる可知性の二つの条件
4.2 知性は「他のものと同じように」可知的である
4.3 知性と質料の比較
4.4 知性の純粋な可能態性とフクロウの比喩――『定期討論集』第3問
5 形象を通じた自己認識
5.1 人間の立ち帰りの位置づけと様態
5.2 習慣的認識の位置づけ
5.3 「自分自身を通じて自分自身を認識する」という表現の様々な意味
5.4 アウグスティヌスとアリストテレスの調和
6 結論
6.1 立ち帰りのプロセスの体系化
6.2 自己認識の類比的意味の消失
第5章 フォンテーヌのゴドフロワ
1 導入
2 認識と自己認識に関する理論
2.1 トマス主義に対する批判的忠実性
2.2 新アウグスティヌス主義への反対
2.3 トマス主義に対する独立性
3 知性の自己認識
3.1 知性の二つの様態
3.2 異論と解答
4 結論
第6章 フライベルクのディートリヒ
1 導入
1.1 ディートリヒについて
1.2 ライン学派の独創性
2 予備的考察
2.1 認識の三形態
2.2 本質的原因性
2.3 知性としての知性
2.4 実体性,働き,関係
3 知性と自己認識
3.1 可能知性
3.2 能動知性
4 自己認識から派生する諸問題
4.1 存在するものの似像としての能動知性
4.2 神に還帰する能動知性
4.3 神を受容できるものとしての能動知性
5 結論
5.1 自己の対象化
5.2 知性のいかなる隔たりもない近さ
結論
1 自己認識の逆説
1.1 トマス・アクィナス
1.2 フライベルクのディートリヒ
2 自己の対象化
3 自己認識の展開
3.1 様々に一致する見解
3.2 思想の運動
3.3 自己認識と神認識
解説
アクアスパルタのマテウス
ヨハネス・オリヴィ
ロジャー・マーストン
サットンのトマス
フォンテーヌのゴドフロワ
フライベルクのディートリヒ
訳者あとがき
文献表
索引
内容説明
本書は前訳書『トマス・アクィナスの自己認識論』(2021年刊)を踏まえて,13世紀の1275年から1300年までの25年間にわたる自己認識論の展開を,6人の哲学者を中心に様々な論争を紹介しつつ検討した画期的作品である。
著者は当時のパリやオックスフォードを揺るがした論争の背景を的確に把握して,新アウグスティヌス主義としてみられるアクアスパルタのマテウス,ヨハネス・オリヴィ,ロジャー・マーストン,また初期トマス学派の代表者であるサットンのトマス,さらには独立的なアリストテレス主義者だったフォンテーヌのゴドフロワ,最後に中世の新プラトン主義を知る上で欠かせないライン学派からフライベルクのディートリヒら6人を選び検討する。これにより13世紀末の思想動向がほぼ網羅的に扱われる。
本書で扱われている個々の論争の内容には近代哲学に通ずる多くのテーマがすでに展開されており,近代に固有なものと思われていた事柄が数世紀前から人々の関心の対象であったことが分かる。
とくに自己認識論という哲学にとって枢要な観点から,研究の進んでいない中世の思想家たちの歴史的な位置取りを考察し,トマスからスコトゥスに至る思想史的な間隙を埋めることにより,中世と近世との緊密な関連を提供する。
ヨーロッパモデルの習得を目指してきたわが国の学問研究にとって,さらに中世思想を思想史全体の中で捉えることが要請されている今日,本書が示す新たな知識や知見は貴重な示唆に富み,今後の研究者にとって必読文献となろう。
著者は当時のパリやオックスフォードを揺るがした論争の背景を的確に把握して,新アウグスティヌス主義としてみられるアクアスパルタのマテウス,ヨハネス・オリヴィ,ロジャー・マーストン,また初期トマス学派の代表者であるサットンのトマス,さらには独立的なアリストテレス主義者だったフォンテーヌのゴドフロワ,最後に中世の新プラトン主義を知る上で欠かせないライン学派からフライベルクのディートリヒら6人を選び検討する。これにより13世紀末の思想動向がほぼ網羅的に扱われる。
本書で扱われている個々の論争の内容には近代哲学に通ずる多くのテーマがすでに展開されており,近代に固有なものと思われていた事柄が数世紀前から人々の関心の対象であったことが分かる。
とくに自己認識論という哲学にとって枢要な観点から,研究の進んでいない中世の思想家たちの歴史的な位置取りを考察し,トマスからスコトゥスに至る思想史的な間隙を埋めることにより,中世と近世との緊密な関連を提供する。
ヨーロッパモデルの習得を目指してきたわが国の学問研究にとって,さらに中世思想を思想史全体の中で捉えることが要請されている今日,本書が示す新たな知識や知見は貴重な示唆に富み,今後の研究者にとって必読文献となろう。