ホーム > 余暇と祝祭
目次
まえがき〔稲垣良典〕
第Ⅰ部 ヨゼフ・ピーパーの文化哲学
第Ⅰ部の背景――余暇開発センターの国際価値会議報告(1983)
第一章 ヨゼフ・ピーパーの文化哲学(1983年)〔稲垣良典〕
はじめに
一 哲学と神学
二 余暇(レジャー)――文化の基礎
三 労働人とソフィスト「文化の破壊者」
四 文化と宗教
第二章 大学とはなにか(1952年)――「アカデミック」概念をめぐって〔ヨゼフ・ピーパー〕
一 大学とはなにか
二 批判的異論に答える
三 全体へ開かれた心
第三章 哲学するとはどういうことか(1959年)〔ヨゼフ・ピーパー〕
訳者はしがき
はじめに
第一講 哲学することは「労働(ワーク)世界」を超越する行為
第二講 哲学は「ワーク世界」を超越して何処へ赴くのか
第三講 驚異こそが哲学の始まりである
第四講 哲学と神学の間の原理的関係
著者あとがき
第四章 余暇(レジャー)と人間実存(1983年)〔ヨゼフ・ピーパー〕
はじめに
一 「活動」に対する過大評価
二 「骨折り」に対する過大評価
三 「社会的有用性,社会的機能」に対する過大評価
四 怠惰とはレジャー能力の欠如
五 祝祭こそがレジャーの真髄
第五章 「ゆとり」について(1983年)〔土居健郎〕
一 「ゆとり」のない人が心の病気になる
二 宗教はしばしば「ゆとり」を失わせる
三 「義理人情」だけでも「ゆとり」は生まれない
四 豊かさではなく,秘められたものが「ゆとり」を生む
第六章 ヨゼフ・ピーパーと土居健郎の往復書簡(1983年)
一 レジャーの基礎としての観想
二 重ねてピーパー教授に――土居健郎
三 土居健郎博士に答える――ヨゼフ・ピーパー/土居健郎訳
四 往復書簡解説――土居健郎
第Ⅱ部 ヨゼフ・ピーパー著『余暇と祝祭』詳解
第Ⅱ部の背景――政治社会の最優先課題〈学習社会〉
第七章 地獄の標語「ARBEIT MACHAT FREI」〔稲垣良典〕
一 大戦後の廃墟都市ミュンスターの街歩き
二 解説・哲学史と文学史の対話
三 世界平和秩序づくり〈トマス哲学と自然法〉の研究
第八章 自由学芸教育の本質〔稲垣良典・松田義幸〕
一 日本のレジャー問題の壁〈レジャーの究極はゴロ寝〉
二 ハッチンスの「学習社会」政策の理念とその背景
三 ケインズの『わが孫たちの時代の経済的可能性』
四 アドラー博士のグレート・ブックス・セミナ
第九章 西洋文化の基礎としての余暇(レジャー)〔稲垣・松田〕
一 アリストテレスか,マックス・ウェーバーか
二 ダンテ『神曲』天国篇にみる神学,哲学,リベラル・アーツ
三 学習社会モデル「アスペン・リゾート」の実験
四 「ユニバーシティ」概念の源泉 プラトンの「アカデメイア」
五 稲垣良典『人間教育とそのユートピア的構想』
六 稲垣良典『人間文化基礎論』
第十章 絶対化された労働(ワーク)〔稲垣・松田〕
一 知的直観の「知性」を排除した近現代の哲学
二 「自由学芸」教育,「哲学教育」の復権
三 「失楽者・失楽園」の労働管理社会を超えて
第十一章 プロレタリア化および非プロレタリア化〔稲垣・松田〕
一 日本でも一般化した「知識労働者」「頭脳労働者」
二 哲学,自由学芸のより源流に,より本質に
第十二章 余暇(レジャー)の本質〔稲垣・松田〕
一 余暇(レジャー)の原義について
二 「レジャーの欠如」こそ「人間としての怠惰」
三 レジャーの三つの精神的態度
四 レジャーの本質としての「テオリア」「コンテンプラティオ」
五 アリストテレスの〈レジャー論〉 プラトンの〈プレイ論〉
六 「レジャー世界」の最も深い根源について
七 『大学とはなにか』『哲学とはなにか』『レジャーとはなにか』
第十三章 真の余暇(レジャー)を実現するために〔稲垣・松田〕
一 二度の世界大戦の原因〈「ワーク世界」の過大評価〉
二 日本の知識人の信仰について
三 現代知識人の曖昧な信仰問題
第十四章 西洋文芸の源泉〈古代ギリシアの祝祭〉〔松田義幸〕
一 西洋と異なる日本の「哲学」概念
二 プラトンの芸術解釈〈マグネシア〉説
三 プラトンの説く祝日と祝祭の本質
四 多神教からキリスト教の祝祭へ
第Ⅲ部 「神憑り・物狂い」の祝祭の美学〔松田義幸〕
第Ⅲ部の背景――過去という泉の深い日本
第十五章 日本の祝祭と狂言綺語
一 棄老伝説・姨捨山伝説の『楢山節考』
二 朝崎郁恵さんの島唄「あはがり」
三 深い泉の国・日本――異文化との出会い
四 宗教と文芸・文化の一如の道
五 芭蕉が敬慕した漂泊の旅人・西行の生涯
第十六章 神代から続く祝祭都市〈伊勢神宮〉
一 「まつり博・三重Ⅹ年」の HAIKU・FESTA への期待
二 平成二五年の伊勢神宮の式年遷宮と出雲大社の大遷宮
三 伊勢神宮への世界の眼差し――伊勢志摩サミット
第十七章 自然・四季を愛でる〈HAIKU〉
一 佐藤和夫『海を越えた俳句』
二 鈴木大拙の「禅と俳句」講義
三 小西甚一『俳句の世界』
四 民俗学からの『おくのほそ道』解釈
五 小西甚一『日本文藝史』講義
六 芭蕉の海外旅行――〈俳句から HAIKU へ〉
七 日本の肥料が西洋で花を咲かせている
八 ドナルド・キーンと小西甚一との出会い
九 芭蕉最晩年の句境について
十 児童 HAIKU 教育の大きな可能性
十一 俳諧は三尺(さんせき)の童にさせよ
第十八章 貴族文化の京都 武家文化の江戸
一 武家文化時代の中央と地方
二 西山松之助の卓話「江戸と地方文化」
三 貴族文化時代の中央と地方――座談会(1)
四 貴族文化の京都 武家文化の江戸――座談会(2)
五 目﨑徳衛『西行における地方的なもの』
六 金井清光『時衆の遊行と文芸の地方伝播』
七 山口昌男『文化と両義性』
第十九章 本居宣長の国学・国文学の系譜
一 海坂藩のモデル〈出羽の国庄内の文化風土〉
二 丸谷才一の詞華集から捉えた日本文学史
三 岡野弘彦の贈り物――『精選・折口信夫』全六巻
四 丸谷才一の日本文学史三部作と『輝く日の宮』
五 本居宣長の『古事記伝』の海外への伝播
六 「源氏物語千年紀」記念行事(2008年)
第二十章 高天原への祝詞〈伊勢神宮の大祓〉
一 岡野弘彦にとっての大祓
二 『伊勢の国魂を求めて旅した人々』
三 伊勢・新御師塾の20年を振り返って
四 岡野弘彦の『折口信夫の晩年』
五 岡野弘彦『折口信夫伝』
追悼 稲垣良典先生〔松田義幸〕
あとがき〔松田義幸〕
初出一覧
著者紹介
索引
第Ⅰ部 ヨゼフ・ピーパーの文化哲学
第Ⅰ部の背景――余暇開発センターの国際価値会議報告(1983)
第一章 ヨゼフ・ピーパーの文化哲学(1983年)〔稲垣良典〕
はじめに
一 哲学と神学
二 余暇(レジャー)――文化の基礎
三 労働人とソフィスト「文化の破壊者」
四 文化と宗教
第二章 大学とはなにか(1952年)――「アカデミック」概念をめぐって〔ヨゼフ・ピーパー〕
一 大学とはなにか
二 批判的異論に答える
三 全体へ開かれた心
第三章 哲学するとはどういうことか(1959年)〔ヨゼフ・ピーパー〕
訳者はしがき
はじめに
第一講 哲学することは「労働(ワーク)世界」を超越する行為
第二講 哲学は「ワーク世界」を超越して何処へ赴くのか
第三講 驚異こそが哲学の始まりである
第四講 哲学と神学の間の原理的関係
著者あとがき
第四章 余暇(レジャー)と人間実存(1983年)〔ヨゼフ・ピーパー〕
はじめに
一 「活動」に対する過大評価
二 「骨折り」に対する過大評価
三 「社会的有用性,社会的機能」に対する過大評価
四 怠惰とはレジャー能力の欠如
五 祝祭こそがレジャーの真髄
第五章 「ゆとり」について(1983年)〔土居健郎〕
一 「ゆとり」のない人が心の病気になる
二 宗教はしばしば「ゆとり」を失わせる
三 「義理人情」だけでも「ゆとり」は生まれない
四 豊かさではなく,秘められたものが「ゆとり」を生む
第六章 ヨゼフ・ピーパーと土居健郎の往復書簡(1983年)
一 レジャーの基礎としての観想
二 重ねてピーパー教授に――土居健郎
三 土居健郎博士に答える――ヨゼフ・ピーパー/土居健郎訳
四 往復書簡解説――土居健郎
第Ⅱ部 ヨゼフ・ピーパー著『余暇と祝祭』詳解
第Ⅱ部の背景――政治社会の最優先課題〈学習社会〉
第七章 地獄の標語「ARBEIT MACHAT FREI」〔稲垣良典〕
一 大戦後の廃墟都市ミュンスターの街歩き
二 解説・哲学史と文学史の対話
三 世界平和秩序づくり〈トマス哲学と自然法〉の研究
第八章 自由学芸教育の本質〔稲垣良典・松田義幸〕
一 日本のレジャー問題の壁〈レジャーの究極はゴロ寝〉
二 ハッチンスの「学習社会」政策の理念とその背景
三 ケインズの『わが孫たちの時代の経済的可能性』
四 アドラー博士のグレート・ブックス・セミナ
第九章 西洋文化の基礎としての余暇(レジャー)〔稲垣・松田〕
一 アリストテレスか,マックス・ウェーバーか
二 ダンテ『神曲』天国篇にみる神学,哲学,リベラル・アーツ
三 学習社会モデル「アスペン・リゾート」の実験
四 「ユニバーシティ」概念の源泉 プラトンの「アカデメイア」
五 稲垣良典『人間教育とそのユートピア的構想』
六 稲垣良典『人間文化基礎論』
第十章 絶対化された労働(ワーク)〔稲垣・松田〕
一 知的直観の「知性」を排除した近現代の哲学
二 「自由学芸」教育,「哲学教育」の復権
三 「失楽者・失楽園」の労働管理社会を超えて
第十一章 プロレタリア化および非プロレタリア化〔稲垣・松田〕
一 日本でも一般化した「知識労働者」「頭脳労働者」
二 哲学,自由学芸のより源流に,より本質に
第十二章 余暇(レジャー)の本質〔稲垣・松田〕
一 余暇(レジャー)の原義について
二 「レジャーの欠如」こそ「人間としての怠惰」
三 レジャーの三つの精神的態度
四 レジャーの本質としての「テオリア」「コンテンプラティオ」
五 アリストテレスの〈レジャー論〉 プラトンの〈プレイ論〉
六 「レジャー世界」の最も深い根源について
七 『大学とはなにか』『哲学とはなにか』『レジャーとはなにか』
第十三章 真の余暇(レジャー)を実現するために〔稲垣・松田〕
一 二度の世界大戦の原因〈「ワーク世界」の過大評価〉
二 日本の知識人の信仰について
三 現代知識人の曖昧な信仰問題
第十四章 西洋文芸の源泉〈古代ギリシアの祝祭〉〔松田義幸〕
一 西洋と異なる日本の「哲学」概念
二 プラトンの芸術解釈〈マグネシア〉説
三 プラトンの説く祝日と祝祭の本質
四 多神教からキリスト教の祝祭へ
第Ⅲ部 「神憑り・物狂い」の祝祭の美学〔松田義幸〕
第Ⅲ部の背景――過去という泉の深い日本
第十五章 日本の祝祭と狂言綺語
一 棄老伝説・姨捨山伝説の『楢山節考』
二 朝崎郁恵さんの島唄「あはがり」
三 深い泉の国・日本――異文化との出会い
四 宗教と文芸・文化の一如の道
五 芭蕉が敬慕した漂泊の旅人・西行の生涯
第十六章 神代から続く祝祭都市〈伊勢神宮〉
一 「まつり博・三重Ⅹ年」の HAIKU・FESTA への期待
二 平成二五年の伊勢神宮の式年遷宮と出雲大社の大遷宮
三 伊勢神宮への世界の眼差し――伊勢志摩サミット
第十七章 自然・四季を愛でる〈HAIKU〉
一 佐藤和夫『海を越えた俳句』
二 鈴木大拙の「禅と俳句」講義
三 小西甚一『俳句の世界』
四 民俗学からの『おくのほそ道』解釈
五 小西甚一『日本文藝史』講義
六 芭蕉の海外旅行――〈俳句から HAIKU へ〉
七 日本の肥料が西洋で花を咲かせている
八 ドナルド・キーンと小西甚一との出会い
九 芭蕉最晩年の句境について
十 児童 HAIKU 教育の大きな可能性
十一 俳諧は三尺(さんせき)の童にさせよ
第十八章 貴族文化の京都 武家文化の江戸
一 武家文化時代の中央と地方
二 西山松之助の卓話「江戸と地方文化」
三 貴族文化時代の中央と地方――座談会(1)
四 貴族文化の京都 武家文化の江戸――座談会(2)
五 目﨑徳衛『西行における地方的なもの』
六 金井清光『時衆の遊行と文芸の地方伝播』
七 山口昌男『文化と両義性』
第十九章 本居宣長の国学・国文学の系譜
一 海坂藩のモデル〈出羽の国庄内の文化風土〉
二 丸谷才一の詞華集から捉えた日本文学史
三 岡野弘彦の贈り物――『精選・折口信夫』全六巻
四 丸谷才一の日本文学史三部作と『輝く日の宮』
五 本居宣長の『古事記伝』の海外への伝播
六 「源氏物語千年紀」記念行事(2008年)
第二十章 高天原への祝詞〈伊勢神宮の大祓〉
一 岡野弘彦にとっての大祓
二 『伊勢の国魂を求めて旅した人々』
三 伊勢・新御師塾の20年を振り返って
四 岡野弘彦の『折口信夫の晩年』
五 岡野弘彦『折口信夫伝』
追悼 稲垣良典先生〔松田義幸〕
あとがき〔松田義幸〕
初出一覧
著者紹介
索引
内容説明
キリスト教哲学者ヨゼフ・ピーパー(1904-97)の主著『余暇と祝祭』を紹介するとともに,余暇の源泉としての祝祭の意義を考察する。ロシア革命やナチズムに象徴される労働管理社会から,ますます先鋭化する「労働世界」に直面している現代の人々が,真に解放されるための「余暇とはなにか」が問われている。
Ⅰ部ではピーパーの大学論や哲学に関する著作を通して,いかに自由学芸や教養が文化の基礎となるのか,さらに今日の生涯学習の意義を考察する。
Ⅱ部では『余暇と祝祭』を詳細に紹介し,祝祭を源泉として展開してきた余暇(レジャー)の本質を考え,「文化は宗教の受肉である」ことを明らかにした。
Ⅲ部ではわが国の神話や儀礼をはじめ和歌集や俳諧など日本文芸の様々な伝統を紐解きながら,祝祭や自然を崇めつつ結晶していく多様な文学表現を「文芸と宗教の一如の道」と捉え,そこに躍動している人々の祭りと遊びの豊かさに光をあてる。
本書は,開国による西洋化のなかで,福沢諭吉が人々を教育・啓発した『学問のすゝめ』にも通じるものであり,大戦後に文化国家を目指した文化の理念を改めて考えることにより,「人生百年」と言われ勤労時間より余暇時間が長くなる多くの現代人が,充実した人生を送るための知恵を提起した貴重な試みである。
Ⅰ部ではピーパーの大学論や哲学に関する著作を通して,いかに自由学芸や教養が文化の基礎となるのか,さらに今日の生涯学習の意義を考察する。
Ⅱ部では『余暇と祝祭』を詳細に紹介し,祝祭を源泉として展開してきた余暇(レジャー)の本質を考え,「文化は宗教の受肉である」ことを明らかにした。
Ⅲ部ではわが国の神話や儀礼をはじめ和歌集や俳諧など日本文芸の様々な伝統を紐解きながら,祝祭や自然を崇めつつ結晶していく多様な文学表現を「文芸と宗教の一如の道」と捉え,そこに躍動している人々の祭りと遊びの豊かさに光をあてる。
本書は,開国による西洋化のなかで,福沢諭吉が人々を教育・啓発した『学問のすゝめ』にも通じるものであり,大戦後に文化国家を目指した文化の理念を改めて考えることにより,「人生百年」と言われ勤労時間より余暇時間が長くなる多くの現代人が,充実した人生を送るための知恵を提起した貴重な試みである。