目次
第一章 アトスの修道士ニケフォロスにおける東方霊性(ヘシュカスム)のかたち
第二章 祈りの方法論――『フィロカリア』における伝新神学者シメオンと二つの不詳の著者による論攷を中心に
第三章 観想におけるファンタシアの問題――クサントプロス修道院のカリストスとイグナティオスの場合
第四章 「ヌース」考
第五章 観想の文法書としての『フィロカリア』
第六章 闇――神現の場
第二部 擬ディオニュシオスをめぐって
第一章 擬ディオニュシオス『神名論』における「テアルキア」について
第二章 神名の「記述」と「語り」――擬ディオニュシオス『神名論』の一側面
第三章 否定神学は肯定神学の裏返しか? ――否定神学の現代的意義
第四章 秘義的秘跡と観想――擬ディオニュシオス『教会位階論』の構造(第一章,第二章より)
第五章 パキメレースによる擬ディオニュシオス解釈――ビザンティン的テキスト解釈の一例
第三部 パラマスの思想とパラマス主義
第一章 パラマスによる擬ディオニュシオス解釈の一断面――ディオニュシオス『スコリア』援用の問題
第二章 神の本質の把握不可能性について――東方教父とトマス・アクィナスの解釈
第三章 グレゴリオス・パラマスにおける自然の問題
第四章 神の場とエネルゲイア――パラマス問題解決の試み
第五章 ヘシュカスム論争とは何であったのか――バルラアム『第一書簡(1―29)』を通して
第六章 スコラリオスによるパラマス解釈(緩和されたパラマス主義)――ビザンティン後のパラマス解釈への一瞥
最終的考察
内容説明
東方キリスト教において「観想」は極めて重要であった。観想を通して神と出会い,神との一致を求める修行は修道士の最高の目的である。しかし彼らの体験には優れた先達の導きが必要で,一様な修行指南や指導にも指導者各人の特質が反映した。個人の体験は言語化するや否や,もはや純正の体験を表現するものではない。言語を介さないはずの観想やその体験について,彼ら霊的師父たちは語るほどに生の体験が色褪せていくことを知りつつ言葉を尽くして語った。
はじめにヘシュカスムによる観想の世界を論ずる。ヘシュカスムとは砂漠や荒れ野で神と結びつこうとした人々に発する東方霊性の根幹にある霊性運動であり,それを通して修行者の苦闘を描くと共に祈りの方法・技法やイコンをも観想言語の領域として考察する。
次に擬ディオニュシオスに照準を当て,彼の取り扱った神名,否定神学,テアルキ,秘跡などの問題を解明し,彼が観想を中心に据えていることを確認する。
さらに東方霊性を理論的に集大成したグレゴリオス・パラマスを取り上げ,彼がよく引用するディオニュシオスの解釈を検討し,次いでパラマスが関わったヘシュカスム論争の真相を明らかにする。
本書は「観想」を通して,西方とは異質な東方キリスト教の霊性がもつ特徴を解明した画期的業績である。