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教理講話  新刊

教理講話

知泉学術叢書32

著者 新神学者シメオン
大森 正樹
谷 隆一郎
ジャンル 宗教
シリーズ 知泉学術叢書
出版年月日 2024/06/25
ISBN 9784862854100
判型・ページ数 新書・552ページ
定価 本体6,300円+税
在庫 在庫あり
 

目次

凡例
はしがき(大森正樹)

第1講話 愛について
 不肖のわたしからの勧告
 同じ道をたどろう
 まったく望ましい愛よ
 おお,神の愛よ
 愛すればキリストの真の弟子と認められる
第2講話 至福を通してキリストへ
 自らの救いを裏切ってはならない
 キリストを見出すために,すべてを捨てる
 キリストの魅力
 神の偉大さと寛大さ
 キリストの印章
 われわれの富なる主
 悲嘆
 悲嘆から生まれる慰め
 涙
 キリストの印章のしるし
 あわれみと平和への愛
 光を見,光のうちにあること
 貧しさ,謙遜,甘美さ
 過ぎ去る世を逃れること
 キリストをじかに見るに値する者となろう
第3講話 修道誓願への忠実
 夜中に起きていることに文句を言わないこと
 修道士たちのなまぬるさを前にしたシメオンの悲しみ
 どんな目的で修道士になったのか
 誓願を守るための戦い
 情念に対する戦いの手段である熱意
 なまぬるさはその誤りを過小評価する
 小罪などはない
 「想念」の識別
 霊的戦いはとどまることがない
 悔い改めの必要性
第4講話 悔恨の涙
 「涙なしに聖体拝領をしないこと」
 悔悟,意志の果実
 意志の選択
 悔恨しない修道士たち
 聖務に出るだけでは十分ではない
 教会における管理の弛み
 愛を騙る修道士
 霊的でない行いには徳がない
 謙遜で,打ち砕かれた心に,カリスマと徳が〔宿る〕
 涙と悔悟は魂の家を清掃する
 霊的「悲嘆」は徳を保証する
 悔恨,泣くこと,そして涙が絶えず必要であること
 悲嘆の訓練なくして,悲嘆なし
 悔恨しない者はふさわしくないこと
 一時的な悔恨では不十分であること
 浄められた魂の輝きと威厳
第5講話 悔い改めについて
 悔いることの必要性
 悔恨なしには,ものをもたない修道生活は何の役にも立たない
 俗人の悔恨,その例
 アダムの物語
 アダムは罪を告白しないので,追放された
 エバはもはや罪を告白しない
 追放されて,アダムとエバは悔恨する
 神は悔恨する者を憐れんだ
 全人類は神の愛を再び見出す
 イエス・キリストはわれわれに自由を取り戻させる
 悔悟しないことの黙示録的な結果
 福音書は審判において,悔い改めない者を非難する
 悔い改める婦人たち
 著名な者のために。悔悟するダビデという例
 あらゆる条件が判定されるだろう
 世を嫌悪することに基づいて裁かれた修道士たち
 世とは何か。所有欲と情念
 世への愛。執着
 審判における右側と左側
 右側には服従し,謙虚な修道士
 傲慢で不従順な修道士の肖像
 小さなことが重要である
 小さな情念に対しても戦うこと
 「不受動心」に到達すること
第6講話 敬虔者シメオンの模範
 古の師父たちについて話そう
 聖アントニオス
 聖アルセニオス
 聖霊において生きることは「暴力」を想定する
 敬虔者,聖シメオン。その言葉
 彼の霊は渇きを癒す水のようであった
 敬虔者シメオンを通しての恩恵のために神に栄光あれ
 敬虔者シメオンと世に死ぬこと
 キリストに倣う
 キリストとともなる栄光化
第7講話 家族への愛着について
 神の言葉を拒絶する者たち
 一つの災い。家族への執着
 悪の中に根を下ろした者たち。どのようにして彼らを癒すべきか
 言葉の戦いを始める前の祈願
 主の掟
 信仰の精神はより小さな掟にまで及ぶ
 離脱の意志
 途,その無数の誘惑
 家族の執着への誘惑
 幻想,家族に執着させるための悪魔の策略
 ひとたび執着すれば,もはや離れられない
 親しい者への執着の有害な結果
 いかなる情念とも結びつくな
第8講話 完全な愛について,そしてその働きは何であるか
 徳を真似る者の化けの皮をはがす
 愛の名において兄弟たちを矯正すること
 真の愛を意識する
 愛のないキリスト教徒はいない
 神の子の偉大さ
 掟を実行して神を見ることに向かう
 最終的勧告
第9講話 施しについて
 シメオンは霊にせきたてられて話す
 何よりも必要な霊的栄養
 エジプトのマリア
 物質的財貨と罪の奴隷
 キリストに向けて霊的に憐みある行いをすること
 身体的な憐みの意味
 自分の善きものを与えること,それはその心を自由にすることである
 善きものの分配の後で,担うべき十字架
 狭い門,償いと浄化
 涙と霊の慰め
第10講話 聖霊,聖性,完全な不受動心を分有することについて
 天の善きものの崇高さ
 聖性と至福の基準
 わざへの熱心さ
 栄光を愛することは徳の実践を損なう
 聖性と情念は両立しないこと
第11講話 断食について
 四旬節の断食の第一週
 断食,魂の医師
 断食,霊的活動の基礎
 断食と献身
 霊的食卓に互いを招くこと
 生命の言葉で養う
第12講話 断食の時期に,諸々の徳をなすための節制と忍耐について
 シメオンがふさわしくないこと
 断食に対する修道士の熱意
 四旬節が終わって。生涯覚醒していること
 欠乏の折に不平を言わず,忍耐すること
 覚醒と仕事によって構築すること
 無駄な言葉をこらえること
 「口を見張る」ための手段
 最終的勧告
第13講話 キリストの復活について
 復活祭の日に
 キリストの復活はわれわれのうちに神秘的な仕方で生み出される
 神秘的現実との一致
 いったい誰が復活を「見る」ことができようか
 わざによって生きる信仰
第14講話 悔い改めと修道生活の始めについて
 経験のある者の指導を受けること
 われわれの主の約束
 霊の充満において体験される神秘
 神秘を前にしての眩暈
 神を見ること,そして神だけを
第15講話 神の光
 闇と不忠実
 無知はキリストの感覚を晦ませる
 神,魂の輝く光
 霊的な眼の見えない者
 悔悟と涙のうちに光を探すこと
第16講話 聖霊の働きについて
 ある修練者の話。光の追求
 敬虔者シメオンの助言
 光と恍惚
 出立させる傷
 そのような光を享受すること
 心を浄くすること
第17講話 観想と啓示と照明を受けた祈りについて
 シメオンもまた光に向かって上昇した
 神の恐ろしくも,魅力的な美しさ
 身を低めることに逃れる
 聴聞者の心を奮い立たせるための遅まきの打ち明け話
第18講話 悪しき人の企みについて
 権威を求める悪しき動機
 敬虔な人に対する悪魔の誘い
 敬虔な兄弟の企て
 世俗的な思いをもつ人に悪魔が何を語るか
 肉的な兄弟の企て
 シメオンの賢明な勧告
 霊的な仲間の支え
 善き候補者の堅固な考え
 野心に動かされることは祈りに反する
 使徒的な地位を奪うことに立ち合う悲しみ
 候補者の条件としての徳
 霊的父の勧告
 上長の徳
 神は徳を増大させる
 上長の義務
 魂の気遣い
 中庸の道
 各々の人に適した目的
 更生の義務
 聖なる事柄と人格のための注意
第19講話 シメオンの霊的関心
 人間的な言葉の弱さ
 父なるテオフラストスの場合
 修道者のためのシメオンの注意
 神に逃れよ
 闇のたばかりに止らないために
 神の上に留まること
第20講話 理想的な霊的指導
 万物のはじめであり終りであるキリスト
 霊的父の指導
 キリストに従うこと
 キリストとともに食卓に
 受難においてキリストとともに
 栄光の師とともに
 謙遜と愛
第21講話 死の記憶について
 アントニオスの純粋さ
 死に際してのシメオンの喜びと悲しみ
 アントニオスの最期のとき
 アントニオスの執り成しへの祈り
 シメオンの厳しい愛
第22講話 信仰について
 信仰のわざ
 ゲオルゴスは隠修士マルコスについて語る
 ゲオルゴスはこの世にあったとき,いかに祈ったか
 光の視幻
 信仰の実りとしての光
 霊の照らし
 神の国に入るのに必要なこと
 真のキリスト者の少ないこと
 世を捨てること
 視幻の後にゲオルゴスはいかに迷ったか
 神の憐れみが彼を呼び戻した
 最終的勧告
第23講話 悔い改めと神への畏れについて
 手によるうちなる苦しみ
 主に立ち帰ること
 主は癒しを与える
 癒しに伴う喜び
 神的な酩酊
 神的なぶどう絞り
第24講話 霊的な知について
 神的な書の閉ざされた箱
 うちに存する宝
 掟は知への門
 聖霊によって開示される神秘の宝
 肉の目は霊的な美を見ることができない
第25講話 魂と身体との変化
 魂のさまざまな状態
 心の状態
 知性は身体の快楽をいかに非難するか
 アダムとエバは楽園(エデン)において欲望がない
 身体の自然・本性的変化
 身体の重さ,霊的な試練
 魂と知性と身体との関わり
 魂をいかにしてよく制御するか
第26講話 はなはだ有益で救いに資する生活のはじめ(根拠)について
 修道士の生活の基本要素
 修道士は共同体の定めに従わなければならない
 奉神礼の間のわざと沈黙
 奉仕において
 食堂での奉仕
 食事中の静けさ
 食事での節制
 大食への悪霊の誘惑に抗して
 食事の後に
 夕べの祈り
 徹夜での読書と祈り
 霊的父への告白
第27講話 より小さな掟に至るまで
 目的の港に着かなければならない
 捕らえられない鹿
 すべての徳を含む貴重な器
 いかにして徳はわれわれの身体という器に力を与えるか
 宝とは祝福された三位一体のことである
 小さな誤ちと思われたことが実は重大である
 何事もおろそかにしてはならない
 われわれの心には善きもの悪しきもののすべてが刻印される
 キリストに倣うこと
 キリストとその弟子たちとの謙遜
 キリストの十字架を担うこと
第28講話 識別力,光そして祭司職
 救いの道を走ること
 世に対して十字架につけられていること
 恩恵による自由
 法の影から神の光へ
 悔い改め,光への門
 裁きにおいて――闇のうちにいることの恥
 司牧者として司祭自身が光のうちにいなければならない
 聖なるものを商う人々の断罪
 福音を宣べ伝える司祭に求められる聖性
 世の光なるキリスト
 霊的な光と識別
 識別のない「霊の偽った判断」
 盲目の目とおしの耳との能力
第29講話 無気力という異端
 キリストが身体的に不在であることは,われわれにとって益がある
 過ぎ去った時代のむずかしさ
 過去の異端
 新たな異端――福音に従えないと信じること
 浄めと涙とを拒んではならない
 生に必要なものとしての涙
 神を見ることの保証としての涙
 聖なる書に聴従すること
 神の裁きの前での修道者の誤り
 最終的勧告
第30講話 悔い改めについて
 霊的努力の目的
 浪費された年月
 浪費された年月を取り戻す手段としての死性(自己否定)
 神に信頼し,神に寄り縋ること
 夕べのための考案
 悔い改めの方法
 悔い改めの祈りの個人的な訓練
 奉仕のときの痛悔の感情
 確信と寛大さによる悔い改め
 不受動心に向かって
 収穫のためのはじめの種と労苦
 天の国をいかにして失わないか
 次の講話の主題
第31講話 自己吟味について
 自己自身の吟味
 謙遜
 苦しまされること
 柔和なこと
 正義に飢えること
 憐れみ
 純粋で平和な心
 迫害に耐えること
 最後の報い
第32講話 冒瀆について
 霊に対する冒瀆
 恵みの実りを拒否する不信仰
 悔い改め――聖霊の道
 神の近くに行くことはいかにして可能か
第33講話 聖霊の分有(受容)について
 魂の灯を燃やすことが必要である
 聖霊とキリストとの光
 知の鍵
 鍵,門,家
 鍵は聖霊のしるし
 神の住まうこと
 三位一体における三つのヒュポスタシス(ペルソナ)
 神的本性の一性(一なること)
 神の真の知の獲得
第34講話 シメオンの弁明
 シメオンの率直さが誤解されたこと
 シメオンは兄弟とともに神の賜物を有する
 シメオンの勧告の動機
 父と子との結合 われわれの神との結合
 聖霊への奉仕におけるシメオン
 自らはふさわしくないというシメオンの自覚
 シメオンは非難,攻撃,傲りに抗して,自分自身を守るために聖書に訴える
 聖性への欲求
 シメオンは講話の正しさを主張する
 光へともたらされ分かち与えられる隠れた宝
 宝の美しさの弁護
 万人に役に立つ光
 最終的勧告
第35講話 神への感謝。恩恵の神秘的経験
 神のすべての恵みに対する一般的な感謝
 知的な恵みを知るために
 神を保持していることへの感謝
 真の霊的師父を見出すために
 最初の視幻
 回心と第二の視幻
 試練における強めのために
 魂に到来する浄めのために
 単純さにおいて神を捉えたこと
 聖人の生における霊の証示
 最後のまとめ
第36講話 神への感謝。霊的祈りと照らし
 超自然的な運命に対するシメオンの感謝
 世の危険から襲われることに対して
 霊的な導き手を見出したこと
 浄めの泉を見出したこと
 落胆から逃れたこと
 最初の神秘的な恵み
 浄めの水の神的光
 栄光における歓喜のために
 彼に栄光を与える神の到来
 神の視幻の輝きのために
 テオトコス(神を生む者)のイコンの前での視幻
 試練と成長のために
 落下しないよう持続することへの勧告
 最後の謙遜な祈り

解題 シメオンに見る神秘主義のすがた(大森正樹)
 1 序
 2 生涯と著作
 3 シメオンの人となり
 4 その神秘体験·
 5 シメオンの体験の分析
 6 身体と魂の関係
 7 霊の知識
 8 イエスの祈りとの関連性
 9 結語

あとがき(谷隆一郎)
人名索引
事項索引
聖書引用索引

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内容説明

東方教会で「神学者」の名称を与えられた三人のうち最後の人「新神学者シメオン」(949-1022)は10-11世紀に活躍した,霊性史上特異な存在であった。この「新」とは彼の新奇さや異様さを示し,教会の制度を超えて神と人間との直接の交わりを強調したことによる。
本書は彼が修道士たちに向けて,修道生活の細かい注意や生活指針から始まり祈りと信仰の真実まで,修道士の霊性を高めるために行った講話の全訳である。その特徴は己の体験を己の内面を通して伝えることにある。
彼は思春期から神への思いが募り,徹底した信仰を実践したため,世俗の欲望にまみれていた聖職者たちの反感を買い迫害された。しかしそれに動じず神秘主義的な姿勢を崩さず,同僚や若い修道士たちへの指導を貫いた。
シメオンは個人的な神の体験を生々しく語る。自我や個を徹底的に無となし,神的光と霊の働きであるエネルゲイアを受容する器となって限りなく神に近づく。そこでは神的光の経験の根拠となる無限へといざなわれる。彼は人間の知性と魂と身体の調和的働きを重視し,神に寄り添い,それを実現する道を探求した。
今日の急速な情報化と自由の拡張は,宗教を否定してきた近代の世俗化により,人格の支えなきアイデンティティの危機に直面している。神との対話を通して生み出されたシメオンの言葉は,深い知恵に裏付けられ,われわれにとっても宗教を超えた示唆に富む珠玉の名品である。

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