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聖霊と神のエネルゲイア

聖霊と神のエネルゲイア

知泉学術叢書22

著者 G.パラマス
大森 正樹
ジャンル 哲学・思想 > 中世哲学
シリーズ 知泉学術叢書
出版年月日 2023/02/10
ISBN 9784862853783
判型・ページ数 新書・708ページ
定価 本体6,500円+税
在庫 在庫あり
 

目次

凡例
はしがき

第Ⅰ部 聖霊の発出について

論証の書
 1 第一論述
 序文
 祈り
 (父と子の位格における同等性と相違 父のみから 信条 教皇たちと教会の交わり 神学者による信条について 原因は父のみである 父と子は別のヒュポスタシスである 子と霊は両者とも父のみから 子の霊は父からだが,働きにおいてのみである 自然・本性上の子,恵みによる子 出生と発出だけが子と霊を区別する 唯一の神,唯一の根拠 「二つのものは一つではない」 子は聖霊の根拠ではない ヒュポスタシスの特性は自然・本性の特性ではない 創造する力は父だけに属するのではない 父から子へ 「発出させる者は父である」 三つの証言 霊は生まれない 子は産出者ではない 聖霊の特質は発出ではなく,父からの発出である 他の二つのヒュポスタシスの一致としての父 「根拠から」であって,「根拠とともに」ではない 霊は子に付随するかぎりにおいて子を通して発出する 三角形におけるように 単なる中間ではないこと 霊は,父との関係において,子と同じ第二のものである 発出から前進へ 霊は被造物ではない,それゆえ子からではない 父だけが神を生む者である 群れをなす馬鹿げた考え ヒュポスタシスの秩序 ヒュポスタシスの特性はヒュポスタシスから生み出されるものに拠る 子と聖霊のヒュポスタシスの本質的相違 尊厳の秩序と自然・本性の秩序 多くの自然・本性を伴う一つの神は一つではない もし根拠が二つなら,根拠は一つではない 唯一の根拠は父である 「子は子である,父ではないから」 教父たち,公会議,そして霊の発出 公になされた主張は個々の者によってなされたものよりも特権をみとめられるべきである 補足的終章)

 2 第二論述
 (はじめに ラテン人の尊大さ 神学者たちに必要な慎重さ 聖書の見かけ上の矛盾 不敬虔の根底を取り除くこと 霊は吹き入れることではない 霊は言葉ではない 肉的な吹き入れか,生命の霊か 罪から贖いへ 霊の受け取りえない働きと賜物 「与えるということは三つのヒュポスタシスに共通である」 神の働きは常に三つのヒュポスタシスにかかわる 霊の賜物から弁護者の約束へ 時間のうちにおける派遣は霊の発出ではない 約束の言葉 発出は原因なしであり,派遣には原因がある 「与えられること」と「送られること」 到来する者 父の顕現,子の顕現 ……そして霊の顕現 子の派遣と霊の派遣 霊は人間を目指したのではない 霊は被造物ではない 霊から第一原因へ 「派遣と発出は同じことではない」 神は部分に分かたれない アタナシオスの確証 発出は始めなきものである 新しい対立者の誤った推論 霊はその働きにおいてのみ子からである 霊は子と同じ自然・本性をもつ 原因と原因を同じくすること 定義できない顕現 不敬虔の源。定義できないことを定義する 「……のみ」ということは三つのヒュポスタシスに共通である 再度,定義の危険なことについて 福音書の証言と教父たちのそれ 神のうちにはただ一つの原因しかない ヒュポスタシスの特性は自然・本性的なものではない 原因として原因をもたないこと 一なる者,二なる者 原因は原因のないものである 自然・本性的であるが,ヒュポスタシス的でない特質 霊の尊厳と権威 ヒュポスタシス的認識のしるしはいかなるものも共通ではありえない 子は被造物を支えるが,聖霊ではない 霊と働き ヒュポスタシスが与えられたのではなく,働きである 子は霊よりも先であるとはどのような意味においてか 原因であり,原因を受けた一人の神 ニュッサのグレゴリオスの証言 原因,原因から生じたもの,原因から生じないもの 「光の父」 第一原因は常に直接的である 二つの例 霊と出生 霊は子を通して理解される 「通して」「から」「ともに」 「から」「通して」 御言葉は場所ではない 二つのヒュポスタシスに共通のものは三つの者にも共通でなければならない 子は霊よりも大いなるものではない 派遣は出生でも発出でもない どのように霊は本質的に注ぎ出されるのか 「本質の名」と「働きの名」 ヒュポスタシスと本質の混同 ヒュポスタシスと自然・本性の混同 固有のものの混同 豊かな例証 超自然的なものは自然・本性的なものと混同されない 三位格はどうして四つ組にならないのか 結論に向けて 霊とは何か 「それから在る」「それを通して在る」 「を通して在る」「そこから在る」 ラテン人たちの見解の影響 存在するための進み行きと顕現するための進み行き 霊だけが神において発出いかかわるのではない 「神ではなく,恵みが注がれる」 霊を讃える 霊は働きであり,ヒュポスタシスである 用語の同一性は常に観念の同一性を内包するとはかぎらない 栄唱)


第Ⅱ部 神の本質と働きの区別の問題

A バルラアムとアキンデュノスに抗して
 1 統一性と区別
 (序言 ディオニュシオスと神の統一性 古くて,また新しい異端 発出や働きは被造物ではない ディオニュシオスによる統一性と区別 誤った証言 被造物の多様性は創造主を多様なものとしない 神の理解可能性と不可能性 神の本質は知解できないが,その固有性は知解しうること 神は本質であるのみならず,働きでもある 分有としての神の発出 分有は分有によるのではない 神の摂理は造られたものではない 発出としての働き 神はまたその発出でもある 働きはヒュポスタシスに共通である 運動は本質ではない 超定在されるものとしての一性 顕現としての区別 「あらゆる名に対して最高の名」 三つのヒュポスタシスの統一性 働きと働く者の一性 本質の固有性は造られたものではない 統一性から区別へ 造られざるヒュポスタシスと造られたヒュポスタシス 教えることを超える一つのもの ディオニュシオスによる神の統一性 一から多へ 一における多,あるいは充溢 超自然的光 現実的区別 神はその様々の発出に基づいて名づけられる 七つの霊 一つの異端から別のものへ 次の論攷に向けて)

 2 『弁明』
 (議論 神にあっては矛盾するものが両立する 一つの神において,ヒュポスタシスと働きは区別される 自然・本性と働き 本質と働き 本質と働きは合成物を形成しない 働き,多様性,そして一なるもの 本質と働きは分離できない 超本質的なものは働きにおいて名づけられる 超本質的なもののまわりに 神化させる光線 被造の働きと被造の自然・本性 神には欠けるものは何もない 「神については本質についても,働きについても相応しい仕方で語られない」 神の本質には名がない,そして神は働きからのみ名づけられる 命名と分有 諸々の力の分有 「唯一の神の力と働き」 いかなる働きもそれ自体として存立してはいない 「始源・根拠のない働き」 神は創造の前でも働かれる 神においては本質的な相違はない 働きは固有性を構成するのではなく,それを指し示す 自然・本性的な力としての働き 働きは自然・本性に必然的に関係する 神のすべての特質は造られざるものである エウノミオスより以上に悪しき不敬虔 神の国の相続者 神的なものはそのまわりにある特性を凌駕する 神化する賜物は造られざるものである 賜物はそれを与えた者と同じ価値をもっている 霊は提供するものでもあり,提供されるものでもある 二神論の病 「神性の不分明な輝き」 恵みは造られざるものである 分有の様態 神は働きによって名づけられる 超本質的本質は在ることであり,無からは引き出さない 職人の力 造られざる知恵 証聖者マクシモスの証言 誤った非難 創造と造られざる特質の顕現 常に作動することが創造することではない 逸脱の結論 「霊」と霊 前規定も造られざるものである 恵みと分有 ヒュポスタシスは恵みではない 1341年の二つのシノドス 第二シノドス以降のアキンデュノス 誤った非難はそれをなす者のうえに再び落ちる)

 3 神化と分有
 (論理的難点 神化する賜物は自然・本性的なものではない 教父と福音書の証言 霊の神殿 分かたれない賜物 見えないものも釣り合い 神化は自然・本性的模倣ではない 第二の死と造られざる生命 分有の相違 聖人たちの分有 造られざる分有 教父による他の証言 神化は自然・本性的な賜物ではない 分有の二つの様式 流出 輝く雲のように バシレイオスの霊についての見解 陶器のコップ 働きはそれらの結果ではない 現臨の存在 聖性とは何か 刻印と印章 造られざるものの区別は区分ではない 本質のまわりにある造られざるものと造られた本質のうちにあるものとの違い いかなる存在者も一つの固有のはたらきとともに合成されない 神的なものは全面的に一なるものである 願い 神の単純性についてバシレイオスの見解 最終的解明 栄唱)

B 和解を目指して
 1 討論
 (問題点 この討論の目的と条件 異端はすべて己が正統であると信じている 自然・本性と意志。根拠の問題 神の自然・本性と自然・本性的固有性 破門後のバルラアム信奉者 神性は常に神についてである タボル山の栄光 恵みは常に造られざるものである 神の美についてのバシレイオスの見解 見えない神性は言い表しえない仕方で見られた 造られ,造られざる神 神性に関するバルラアム信奉者の主張 バルラアム信奉者はまだその主張を捨てていない 神性は本質ではない 「アレイオスに倣って」 神の本質は名を超える 神の神性は唯一である 原因は原因によるものよりも上にある 神は神性に関してその上にある 秘義伝授と関係としての神性 解釈の問題 ヒュポスタシスは存在を示すだけであって,存在の仕方を示すのではない 創造は分有の一つの様態である 神性は一つで,ヒュポスタシスそのものではない 恵みはヒュポスタシスのうちにあるものとはどういう意味か 神性はさらに顕現の一つである 宗教に及ぼす力の悪しき結果 信仰告白の用語は捨てられたのではない バルラアム信奉者たちの欺瞞 「神はその働きによってのみ知られるものである」 聖人たちの命題が解釈される 「一は一であるかぎり,分離できない」 本質と働きの区別は多数性を導入することになるか 神において本質的な相違は存在しない 「働きとしての根拠は自然・本性を同じくする」 「神は本質においても,働きいおいても一つである」 あらゆる名称にとっての唯一の主体 バシレイオスの考えの曲解 名称が多いことは常に,そしてただ働きによる エウノミオスでもサベリオスでもない バルラアム信奉者に対するバシレイオス メッサリア派の詭弁 働きと自然・本性 区別なく,ともに分けられること 始めから表明された混乱 分有の様々な段階 霊を分有するように 分有についても最終的考察 働きが本質ではないなら,神はいかにして単純でありうるか 神の働きはその力である 合成は力によらない 「合成は力のないことから来る」 非物体的なものの合成 神的なもののみが単純である 論証の帰結 栄唱)

 2 テオファネス
 (討論の再開 討論の始め 信仰の規範 異端と神学の両義性 機能する規範。サベリオスとアレイオス 機能する規範。ネストリオスとエウテュケス 規範の別の適用 時には教父たちの言明にも矛盾があるように見えることがある 「本質,あるいは神性という理由で」 この規範はバルラアムとアキンデュノスに適用される 本質は分有しえない 同一の者は別のものではない 矛盾を超えて 「あたかも神は本質以外の何ものでもないかのように」 賜物としての分有 メッサリア派論駁 超本質的なものと本質の名称 本質の特性はその部分全体に共通である 一つの本質の特性はそのヒュポスタシスすべてに等分に分けられる 新しいサベリオス主義 本質は,分けられないものであるかぎりにおいて,分有しえないものである 本質のうちに矛盾はない 神は,その働きにおいて,すべてのものから分有される 本質の名は働きから引かれる 神は,原因であるかぎりにおいて,その特質すべてをも超える 働きはヒュポスタシスではない 見える顔と見えない顔 名前は常に本質を意味するとはかぎらない 神の自然・本性と神の働き 「摂理は神の自然・本性的で本質的な働きである」 名称にまどわされない 確認のための若干の証言 賛美は神にのみ捧げられる)

 3 バルラアムとアキンデュノス
 (1341年のシノドス以後 本質のまわりの特性 ……は本質ではない 「もし自然・本性的な働きが除外されるのなら,もはや神も人間もない」 働きと自然・本性 造られざるものの特性を分離することはできない 偽ディオニュシオスによる証言 「いかなるものも分有によらなければ,存在をもたない」 見えないものは働きにおいて見られる 神であることは神の自然・本性に関しては二次的である 誤りが広まる 伝統を悪しく弁護すること 正教の伝統を尊重する者への勧め 必要な苦労 正教の信ずるところ パラマスの自己弁護 二つの神性を区別するのはバルラアムであって,パラマスではない 「一つの神性における一つの神」 栄唱)


第Ⅲ部 綜合的神認識

百五十章
 (世界の起源 この世界の終わり 宇宙の魂は存在しない 唯一の理性的魂は人間のそれである なぜ天体は上方へ進まないのか 天体を超えるものも空間でありうる 運動と静止 天や風はどうなのか 間違った地理的概念 五元素 五つの球〔圏〕 地と水 幾何学的な示唆 人の住む唯一の地帯 思惟と知覚 知覚から想像へ 知性と感覚の間 一時的なものから永遠なものへ 混合した認識 自然・本性的認識 霊的認識 世界の起源 星辰の動きの調和 人間の創造 「もしあなたたちが子供のようであるなら……」 異郷の教え 天使と悪天使 悪天使と神託 認識の光 本質として,また働きとしての生命 死すべき魂 生命それ自体 本質と質の合成 本質としての善性 神の言葉 神の欲求 そしてその像は 知性的欲求としての霊 像と似姿 「最高の三位格の後の三一的自然・本性」 死に至らしめる霊 最初の誘惑 天使と人間 サタンと人間 生きていても死者同然 体の死 「神が死を創ったのではなかった」 内面の死 もっと完全な木 楽園からの追放 断罪された者への人間愛 葦の茎の火 人間愛から救済の摂理へ 「幸いな罪」 ふたたびわれわれのために 回心への命令 回心の業 愛と業 真の崇拝者 非身体的なもの 天使と魂 人間,天使,悪魔 神の創造から人間による創造へ 感覚的認識の重要性 天使と造られざる照明 光と言葉 パウロと光 単数と複数 恵みの働き イザヤの霊 神の七つの眼 神性の世に先立つ働き 無限遡行を避けるためには,神の働きは造られざるものでなければならない 働きを迎え入れる 神と働きの一致 「神になる」 天使たちの光 神は自然・本性,存在者,種に勝る どのようにして神に近づくか 言葉を超える一つの言葉 アカデミアの門の上 神の認識可能性と不可能性 神の働きは造られざるものであるが,本質ではない エウノミオス対ニュッサのグレゴリオス 「ヒュポスタシスにおける区別は神性の区別ではない」 造られざるものは常に抗し難い 分有としての働き 存在者に勝る存在者 分与された特性はすべて造られざるものである 働きは本質でもヒュポスタシスでもない 働きとヒュポスタシス 超自然的光 「顔の映った像のように……」 「太陽の光のように……」 三人のヨハネの証言 アキンデュノスの矛盾 生み出すことと発出させることの違い 一方で生み出すことと発出させること,他方で意志によってなすことの違い 神は唯一の本質をもつ 一つの働きは他のそれと異なる 創造と予知 創造の働きは根拠をもつ…… 神は意志によって創造する 至るところに在ることは神の一つの働きである なぜ神性は神の働きの一つの名であるのか 「真実に在る者に真実に属する名称」 根本的な区別 本質の各部分は力のすべてをもつ ヒュポスタシスと分有 分有と部分に分けること 神の本質を分有するのではなく,働きをであること 神のヒュポスタシスの働きは唯一である 本質は関係ではない 生命それ自体であるものは原因としての生命とは異なる 生命は本質ではない 生命は自然・本性によってある 存在者は本質のまわりにあるものと異なる 神の本質はそのまわりにあるものの総体ではない 一は本質的に多ではない 父の生命は子のみではない キュリロスは矛盾していない 霊と子が「働き」と言われるのはどういう意味においてか 否定神学,肯定神学 根拠のない根拠と根拠をもつそれ 何らかのものへの配慮は常に本質とは異なる働きである 本質は概念ではない 働きは本質ではなく,また付帯的なものでもない 神のもっとも不受動的な働き 神の運動 造られざる働きも終わりうる 被造物に貶められた働き 何かを参照して語られたものは本質ではない 全能という名称 何かに関係することがどのようにして本質の中で観想されるか 本質でないかぎりの働きは付帯性とも呼ばれる 働きのない本質はヒュポスタシスのないものである 無神論は不敬虔よりも悪しきものである ヒュポスタシスは働きと一致しない 創造することは造られた働きではない 神の同じく永遠な働き 働きと認識 「関係は常に他のものについて語られる」 「しばしば働きは本質と異なる」 働きと無名という名称 働きではなく,何かを蒙ることが合成である 変容の光 アキンデュノス信奉者の誤った非難 アキンデュノス信奉者の断罪 アキンデュノス信奉者の最後の矛盾 被造物を通して何が見えるか)

解説
あとがき
事項索引
引用文献索引
引用聖書箇所

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内容説明

「聖霊の発出」について東方教会と西方教会の間にある重大な齟齬は非常に由々しい問題であった。
4世紀のニカイア公会議で,「聖霊は父から出て,父と子とともに礼拝される」としたが,西方教会では6世紀に「聖霊は父と〈子からも〉出る」と「子からも」という文言を付加した。この見方が西方教会へ浸潤することにより,東西で論争が展開,その溝は次第に深まった。さらに教会慣行の違いなどもあり,東西教会は1054年に分裂した。
東方教会としては一度公会議で決定された条項に付加や削除を加えるのは,教義の変更で認められないと主張,聖霊の神学についてビザンティン神学を代表する存在であったグレゴリオス・パラマス(1296頃-1359年)は,徹底的な批判を展開した。
本書は既訳の『東方教会の精髄 人間の神化論攷』に続き9つの論攷を翻訳し,全体は三分野の主題として扱われる。
まず「聖霊の発出」に関わる問題,次にパラマスの注目すべき教説「神の本質と働きの区別」を扱い,最後に自然と世界を含むパラマス思想の全体像が明らかにされる。
先の訳書と本書によって,パラマスの主たる思想の大筋が解明される。20世紀半ばから本格的に展開したパラマス研究を踏まえ,今後の研究の礎となる訳業である。
西欧のスコラ学研究の陰となり注目されなかったビザンティン哲学の研究に,新たな扉を開く貴重な翻訳である。
観想の実践を重んずる東方教会の独自性が明らかになる。

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