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目次
はしがき
はじめに
第一章 原初的な出会い――探究の端緒
一 知と不知との間に
二 愛の傷手――原初的出会いを指し示すもの
三 脱自的愛の発動――アウグスティヌスの場合
四 パウロにおける原初的出会い
第二章 創造と罪
一 すべての人は罪のもとにある(ローマ三・九)
二 アウグスティヌスによる「創造と罪との解釈」
第三章 自由と善
一 自由・意志の働きと自己存在の形成
二 神的な働きと人間的自由の働きとの協働
第四章 神の名の啓示――存在への問い
一 神名の顕現における否定の契機
二 脱自的な愛――神の生成・顕現のかたち
第五章 エペクタシスの道行き
一 自己超越の論理
二 絶えざる生成
補論一 世阿弥「能楽論」の一考察――「幽玄の成立」における否定の契機をめぐって
第六章 身体の問題
一 魂と身体との同時的生成
二 身体ないし身体性の意味
三 アウグスティヌスの身体論
第七章 時間と志向――精神の発見
一 「精神の延長」としての時間
二 精神の志向的かたち
補論二 道元の時間論概観
第八章 人間的自然・本性の開花・成就の道行き
一 「善く在ること」の成立の意味
二 意志的な聴従
三 神の受肉したかたちとしてのアレテー
四 愛による諸々のアレテーの統合
五 神の生成・顕現のかたち
第九章 創造と再創造――人間の役割とロゴス・キリスト
一 自然・本性的紐帯としての人間
二 創造の持続と展開
三 五つの異なりの結合・一体化
四 キリストによる「五つの異なりの結合・一体化」
第一〇章 ロゴス・キリストの問題
一 キリストの復活とその証言の意味
二 主の変容と使徒的経験
三 ロゴス・キリストの十字架と復活――神的エネルゲイア・プネウマの経験を問う
四 キリストの十字架は根拠のしるし・象徴
五 「キリストの十字架」と「われわれの十字架」との内的関わり
第一一章 全一的交わり(エクレシア)への道行き
一 エクレシア(全一的交わり、教会)の姿と謙遜
二 誰よりも自分が罪深いということ
三 この小さい者の一人に為したことは,わたし(キリスト)に為したこと
第一二章 受肉の現在――神の憐みの先行
一 キリストの先在
二 受肉の現在――十字架と復活との「今」
三 創造と受肉の神秘との前に
補論三 空海の思想についての覚え書き
あとがき
参考文献
索引
はじめに
第一章 原初的な出会い――探究の端緒
一 知と不知との間に
二 愛の傷手――原初的出会いを指し示すもの
三 脱自的愛の発動――アウグスティヌスの場合
四 パウロにおける原初的出会い
第二章 創造と罪
一 すべての人は罪のもとにある(ローマ三・九)
二 アウグスティヌスによる「創造と罪との解釈」
第三章 自由と善
一 自由・意志の働きと自己存在の形成
二 神的な働きと人間的自由の働きとの協働
第四章 神の名の啓示――存在への問い
一 神名の顕現における否定の契機
二 脱自的な愛――神の生成・顕現のかたち
第五章 エペクタシスの道行き
一 自己超越の論理
二 絶えざる生成
補論一 世阿弥「能楽論」の一考察――「幽玄の成立」における否定の契機をめぐって
第六章 身体の問題
一 魂と身体との同時的生成
二 身体ないし身体性の意味
三 アウグスティヌスの身体論
第七章 時間と志向――精神の発見
一 「精神の延長」としての時間
二 精神の志向的かたち
補論二 道元の時間論概観
第八章 人間的自然・本性の開花・成就の道行き
一 「善く在ること」の成立の意味
二 意志的な聴従
三 神の受肉したかたちとしてのアレテー
四 愛による諸々のアレテーの統合
五 神の生成・顕現のかたち
第九章 創造と再創造――人間の役割とロゴス・キリスト
一 自然・本性的紐帯としての人間
二 創造の持続と展開
三 五つの異なりの結合・一体化
四 キリストによる「五つの異なりの結合・一体化」
第一〇章 ロゴス・キリストの問題
一 キリストの復活とその証言の意味
二 主の変容と使徒的経験
三 ロゴス・キリストの十字架と復活――神的エネルゲイア・プネウマの経験を問う
四 キリストの十字架は根拠のしるし・象徴
五 「キリストの十字架」と「われわれの十字架」との内的関わり
第一一章 全一的交わり(エクレシア)への道行き
一 エクレシア(全一的交わり、教会)の姿と謙遜
二 誰よりも自分が罪深いということ
三 この小さい者の一人に為したことは,わたし(キリスト)に為したこと
第一二章 受肉の現在――神の憐みの先行
一 キリストの先在
二 受肉の現在――十字架と復活との「今」
三 創造と受肉の神秘との前に
補論三 空海の思想についての覚え書き
あとがき
参考文献
索引
内容説明
著者はアウグスティヌスやニュッサのグレゴリオス,マクシモスなど東西の神学に通暁するわが国でも稀有な研究者である。本書は中世キリスト教に関する広範な知識と哲学史に対する深い造詣を駆使しながら,古典の言葉を厳選し,その貴重な意味を簡潔に紹介し現代に蘇らせる。
詩編や雅歌講話,出エジプト記,ロマ書などの書簡を含め旧約・新約の聖書や教父たちの言葉に寄り添いながら,神の働きと人の経験の不思議な出会いを道しるべとして,人が善く生きる術を探究する。
神を実態・本質として知ることはできない。神はその働きであるエネルゲイアを通して初めて知ることができる。人は神の働きを通して,その源泉たる神の存在を知ることができる。中世の神学と哲学には基底に通ずるものがあり,神への愛と知への愛はそれぞれ響き合いながら人々を深い信仰に導き,ヨーロッパの精神風土の基盤となった。
「自己が善きものになる」(魂の形式)ことは自由と意志のもとで判断し,「新しい存在の誕生」となる。それはイエスの復活と深く繋がるものであり,人は脱自的愛を通して「新しい存在」へと生まれ変わる。
本書は聖書や教父の言葉の意味を丁寧に説明し,人生を善く生きるための知恵を示してくれる命の書である。空海や世阿弥,道元などわが国の知性も同じ境地で生きていたことが紹介される。情報化,技術化,スピード化,グローバル化の日常のなかで,読者は清涼な癒しに浸るだろう。
詩編や雅歌講話,出エジプト記,ロマ書などの書簡を含め旧約・新約の聖書や教父たちの言葉に寄り添いながら,神の働きと人の経験の不思議な出会いを道しるべとして,人が善く生きる術を探究する。
神を実態・本質として知ることはできない。神はその働きであるエネルゲイアを通して初めて知ることができる。人は神の働きを通して,その源泉たる神の存在を知ることができる。中世の神学と哲学には基底に通ずるものがあり,神への愛と知への愛はそれぞれ響き合いながら人々を深い信仰に導き,ヨーロッパの精神風土の基盤となった。
「自己が善きものになる」(魂の形式)ことは自由と意志のもとで判断し,「新しい存在の誕生」となる。それはイエスの復活と深く繋がるものであり,人は脱自的愛を通して「新しい存在」へと生まれ変わる。
本書は聖書や教父の言葉の意味を丁寧に説明し,人生を善く生きるための知恵を示してくれる命の書である。空海や世阿弥,道元などわが国の知性も同じ境地で生きていたことが紹介される。情報化,技術化,スピード化,グローバル化の日常のなかで,読者は清涼な癒しに浸るだろう。