目次
第Ⅰ部 「〈精神的〉東洋」の論理
第一章 現象学の〈神学的転回〉――受肉・テクスト・イマージュ
一 「現象学の神学的転回」
二 神の唯一性と偶像崇拝
(1) 十戒の「形而上学的戒律」
(2) マリオンとコルバンの偶像崇拝論
三 三つのモデル
(1) 受肉モデル
(2) テクスト/エロスモデル
(3) 元型イマージュモデル
第二章 象徴の哲学――生命の論理としてのカバラー
一 シェリングとカバラー
二 ルリアのツィムツム――「セフィロートのカバラー」
三 「神名のカバラー」――文字の発生と解釈学
(1) 文字の生成――下降の道(ツィムツム)
(2) カバラー解釈学――上昇の道(シェビラー・ティクーン)
結論
第三章 潜在性の現象学
一 ミシェル・アンリの一者の現象学
(1) 一者の現象学――潜在性の現象学のための不可避の迂回
(2) 一者はいかに現象化するか
(3) アンリの「反還元」
(4) 自己触発と自己産出――「反還元」によって発見された一者の現象
(5) 原初的〈はじまり/はじめ〉としての原印象
二 アンリ・コルバンと中間イマジナル界の現象学
(1) アンリの功績と限界
(2) コルバンの批判――「天使学の必要性」
(3) イブン=アラビーの創造的想像力
第四章 神名の沈黙と語ること――「動き」の現象学
序 「いかに語らないか」
一 徹底化した現象学的還元としてのカバラー
二 ルリアのカバラーと「沈黙の/即語り」
三 レヴィナスの「語ること(dire)/語られたこと(dit)」
(1) 「エロスの現象学」としての一者の形而上学
(2) 『存在するとは別の仕方で』の「語ること」の現象学
結論
第Ⅱ部 「〈精神的〉東洋」の哲学
第五章 「雅歌」の形而上学/生命の現象学
序 生命論としての『全体性と無限』
一 「雅歌」のミドラシュ的解釈
二 『全体性と無限』と「雅歌」
(1) 「口づけ」から「愛撫」へ
(2) 「エロスの現象学」
結論 エヒエー・アシェル・エヒエー――生命としての生命
第六章 〈東洋哲学〉とは何か――西田幾多郎と井筒俊彦の「東洋」概念
序
Ⅰ 西田幾多郎の〈東洋哲学〉
一 西田の〈西洋〉と〈東洋〉
二 「直観」と「純粋経験」――ベルクソンとの対決
三 「反省」と「自覚」――フィヒテの反省哲学との対決
四 「判断」と「場所」――アリストテレスとの対決
(1) 主語/基体論理から述語論理へ
(2) 場所の階層性――形而上学と認識論の連続
五 西田からコルバン/井筒へ
Ⅱ コルバンと井筒の〈東洋哲学〉
一 〈禅〉から〈密教〉へ
二 アンリの〈東洋〉現象学
三 コルバンの「創造的想像力」
四 光の現象学と元型的比較哲学
結論
第七章 井筒俊彦の「〈精神的〉東洋哲学」――「構造論的現象学」に向けて
序 井筒俊彦の構想
一 「日本哲学」と「東洋哲学」
(1) 西田哲学と「東洋的なもの」
(2) 井筒の「精神的東洋哲学」の構想
二 「精神的」とは何か――二重の現象学的還元
(1) 「共時的還元」としての形相的還元――構造言語学の方法による統一と拡大
(2) 徹底化された超越論的還元――深層心理学を手引きとした深化
三 「精神的東洋」的還元のプロセス――ピラミッド図と分節化理論
(1) 分節化Ⅰ
(2) 絶対無分節
(3) 分節化Ⅱ
四 マンダラの構造現象学
(1) マンダラの現象学へ
(2) なぜマンダラなのか
(3) マンダラとは何か
(4) 「中台八葉院」――先時間的な現象化の原理
結論 現象と構造――「構造論的現象学」に向けて
第Ⅲ部「〈精神的〉東洋」の展開
第八章 形而上学としての比較哲学――アンリ・コルバンと井筒俊彦を手引きとして
序
一 マソン・ウルセルの比較哲学――なぜ比較するのか
二 現象学の方法
(1) フッサールの現象学
(2) ハイデガーの現象学
三 コルバンの現象学
四 イブン=アラビーの創造的想像力
(1) 神顕現としての「第一の創造」
(2) 中間イマジナル界
(3) 新たな還元と象徴の現象学/解釈学
結論 形而上学としての比較哲学
第九章 共生の形而上学
一 形而上学としての共生思想
二 多神教から一神教へ――共生の発生
三 「形而上学とは何か」――ハイデガーの無の形而上学
四 レヴィナスの一/無限の形而上学
五 秘教的「共生の形而上学」
第一〇章 形なきものの形を創る――生命の美的自己表現としての水墨画
一 「顕現しないもの」としての芸術
二 レヴィナス――「顕現しないもの」の倫理学と美学
(1) 顕現しない現象としての倫理
(2) エロス的倫理と美学
三 禅仏教の美学
(1) 「顕現しないもの」としての空
(2) 空の美的自己表現
(3) 生命の原痕跡としての水墨画
結論 「〈精神的〉東洋」としての水墨画
結論 “als”から「即」へ
あとがき
索引
内容説明
本書で扱う「東洋哲学」とは,通常考えられるような地理的・歴史的に限定された「東洋」の哲学的諸伝統の総体としての「東洋哲学」の意味にとどまらない。対象化・表象化の論理としての「西洋」に対する,生命や他者といった「顕現しない/目立たない」現象の次元,経験の「深さ」の次元を意味する「東洋」における現象学的経験が主題である。
第Ⅰ部では,レヴィナス,M. アンリ,マリオンなどのフランスの神学的現象学の展開を辿り,「顕現しないもの」としての「〈精神的〉東洋」への道を開き,「動きそのものとしての一者」という考えを提示。さらに,ユダヤ教のカバラーやミドラシュ的解釈を通して一者の内部からの経験を明らかにする。
第Ⅱ部ではレヴィナス,西田幾多郎,井筒俊彦の三人の哲学者の思想を一なる根源的生命の自己顕現という「〈精神的〉東洋哲学」として読み直す。
第Ⅲ部では,H. コルバンと井筒の比較哲学や共生思想,そして絵画芸術の三つの分野で「〈精神的〉東洋」の論理を展開する。
本書は,現象学,ユダヤ思想,イスラーム神秘主義,仏教の知を横断し,単なる比較思想でも,東洋哲学でもない,新たな思索の可能性を提起する。