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目次
序 形而上学と世界問題
第Ⅰ部 現象学的形而上学としての非存在論
第一章 絶対者の現象学としての非存在論
現象学的形而上学の構想(フッサールにおける形而上学と神の問題/フィンクの非存在論と超越論的方法論)
フィンクの非存在論(非存在論と伝統的形而上学/超越論的傍観者と生としての絶対者)
第二章 非存在論と時間分析
志向性の存在への問(ハイデガーのフッサール批判/世界内存在と超越)
存在の意味の問としての時間分析(フッサールにおける世界時間と個体化の問題/脱現在化と揺動 初期フィンクの時間分析/構想力と世界の問題 フィンクのハイデガー批判)
第Ⅱ部 コスモロギーと現象学的世界論の展開
第一章 コスモロギー的世界論の成立
フィンクのコスモロギー(現象の現象性としての世界/像と遊戯)
伝統的形而上学のコスモロギー的解釈(超越論的範疇と超越論的理想/コスモロギー的差異と世界の不和的二重性)
現象学における世界の問題(フッサールの空間論/ハイデガーの真理論/ロムバッハの構造存在論)
第二章 光と闇の現象学
フィンクの光の形而上学批判(存在と光/ピュシスとロゴス??ハイデガーにおける覆蔵性の問題/闇の現象学)
触覚と視覚(フランス現象学における光と闇/触覚的差異化??夢と眠りの問題)
結びにかえて
第Ⅰ部 現象学的形而上学としての非存在論
第一章 絶対者の現象学としての非存在論
現象学的形而上学の構想(フッサールにおける形而上学と神の問題/フィンクの非存在論と超越論的方法論)
フィンクの非存在論(非存在論と伝統的形而上学/超越論的傍観者と生としての絶対者)
第二章 非存在論と時間分析
志向性の存在への問(ハイデガーのフッサール批判/世界内存在と超越)
存在の意味の問としての時間分析(フッサールにおける世界時間と個体化の問題/脱現在化と揺動 初期フィンクの時間分析/構想力と世界の問題 フィンクのハイデガー批判)
第Ⅱ部 コスモロギーと現象学的世界論の展開
第一章 コスモロギー的世界論の成立
フィンクのコスモロギー(現象の現象性としての世界/像と遊戯)
伝統的形而上学のコスモロギー的解釈(超越論的範疇と超越論的理想/コスモロギー的差異と世界の不和的二重性)
現象学における世界の問題(フッサールの空間論/ハイデガーの真理論/ロムバッハの構造存在論)
第二章 光と闇の現象学
フィンクの光の形而上学批判(存在と光/ピュシスとロゴス??ハイデガーにおける覆蔵性の問題/闇の現象学)
触覚と視覚(フランス現象学における光と闇/触覚的差異化??夢と眠りの問題)
結びにかえて
内容説明
現象学は反形而上学という決意のもとで出発した。しかし1960年代にレヴィナスが「絶対他者への欲望」として形而上学を標榜し,80年代からはアンリやマリオンなどフランス現象学界で「魂に内在する神の啓示」,「存在なき神」などいわゆる神学的転回の議論が活発化した。90年代になると神学のみならず広い意味で現れざるもの,現象しないものへの関心が高まっていった。またフッサール研究でも志向分析の限界に関する議論が盛んに行われ,誕生と死,無意識の問題に光が投ぜられた。
このような非現象性への関心からオイゲン・フィンク再考の機運が高まり,94年にはフィンク・コロキウムが催され,全集(全30巻)の刊行も始まった。彼の「非存在論」はフッサールおよびハイデガーとの批判的対決を通じて独自の展開を見た。フィンクはハイデガーの存在論とフッサールの志向的意識分析を媒介し両者を乗り越えようとし,意識の存在を包括する開けの次元として世界を位置づけ,さらに世界を「存在の地平」として思惟することにより,志向分析や存在論よりも根源的な問題地平を開いた。
本書は初の本格的フィンク研究として,現象学や現代思想に関心のある読者に興味深い一書となろう。
このような非現象性への関心からオイゲン・フィンク再考の機運が高まり,94年にはフィンク・コロキウムが催され,全集(全30巻)の刊行も始まった。彼の「非存在論」はフッサールおよびハイデガーとの批判的対決を通じて独自の展開を見た。フィンクはハイデガーの存在論とフッサールの志向的意識分析を媒介し両者を乗り越えようとし,意識の存在を包括する開けの次元として世界を位置づけ,さらに世界を「存在の地平」として思惟することにより,志向分析や存在論よりも根源的な問題地平を開いた。
本書は初の本格的フィンク研究として,現象学や現代思想に関心のある読者に興味深い一書となろう。