ホーム > クレモナのリウトプランド『報復の書』/ヴァイセンブルクのアーダルベルト『レーギノ年代記続編』
目次
凡例
クレモナのリウトプランド『報復の書』
第一巻
一章 序文
~ 四四章 国王ランベルト讃
第二巻
一章 アルヌルフの死後,息子ルートヴィヒが国王とされたこと(899/900年)
~ 七三章 戦士ミローネが国王ベレンガーリオの復讐を果たし,三日後に殺害者たちを絞首させたこと(924年)
第三巻
一章 この著作の題名について,それが何故「アンタポドシス」とされるべきか
~ 五三章 国王ユーグに対するヴェローナの返還,司教ラテールの捕縛と,彼が多くの機知をもって著した書物について(935年)
第四巻
一章 これまで伝聞のみを書き留めてきたが,今後は自らが見たことを書き留めていくこと
~ 三五章 かの者がその後国王の慈悲を請うべく伺候したこと(939年)
第五巻
一章 シュヴァーベン人の大公ヘルマンが,イーダという名の娘を如何にして国王の息子リウドルフに妻として与えたのか(940年)
~ 三三章 ベレンガーリオがハンガリー人の件故に貧民たちと神の教会から財貨を奪い取ったこと(947年)
第六巻
一章 序文
~〔一〇章 皇帝の御前での数え切れぬ程の金貨の贈与〕(950年)
ヴァイセンブルクのアーダルベルト『レーギノ年代記続編』――907~967年
本文
解説
あとがき
系図・地図・年表
参考文献
索引(人名,地名・民族名,事項)
クレモナのリウトプランド『報復の書』
第一巻
一章 序文
~ 四四章 国王ランベルト讃
第二巻
一章 アルヌルフの死後,息子ルートヴィヒが国王とされたこと(899/900年)
~ 七三章 戦士ミローネが国王ベレンガーリオの復讐を果たし,三日後に殺害者たちを絞首させたこと(924年)
第三巻
一章 この著作の題名について,それが何故「アンタポドシス」とされるべきか
~ 五三章 国王ユーグに対するヴェローナの返還,司教ラテールの捕縛と,彼が多くの機知をもって著した書物について(935年)
第四巻
一章 これまで伝聞のみを書き留めてきたが,今後は自らが見たことを書き留めていくこと
~ 三五章 かの者がその後国王の慈悲を請うべく伺候したこと(939年)
第五巻
一章 シュヴァーベン人の大公ヘルマンが,イーダという名の娘を如何にして国王の息子リウドルフに妻として与えたのか(940年)
~ 三三章 ベレンガーリオがハンガリー人の件故に貧民たちと神の教会から財貨を奪い取ったこと(947年)
第六巻
一章 序文
~〔一〇章 皇帝の御前での数え切れぬ程の金貨の贈与〕(950年)
ヴァイセンブルクのアーダルベルト『レーギノ年代記続編』――907~967年
本文
解説
あとがき
系図・地図・年表
参考文献
索引(人名,地名・民族名,事項)
内容説明
ヴァイキング,ノルマン人,イスラーム教徒など異民族の侵入が相次いだ10世紀は,史料の数が極めて乏しく,「暗黒の世紀」と呼ばれる。しかし同時に,今日のヨーロッパ諸国と民族が形成された,歴史的に重要な「長い10世紀」でもある。叙述スタイルに豊かなバリエーションを持つ史料は,扱う地域も実に多様である。
本書は,このオットー朝期(919-1024)の四大叙述史料のうち二書を,明快かつ詳細な訳注で提供する。
リウトプランドは,仕えたイタリア国王と激しく対立し,ドイツ国王オットー1世の宮廷に亡命した。その『報復の書』(958-62成立)は,皇帝カール3世が失脚し,フランク帝国が5つに分裂した頃(887/88)から筆を起こし,ドイツ,イタリア,ビザンツの同時代史を様々なエピソードを交えて描き,最後は自身のコンスタンティノープル使節行(950)を詳述する。膨大なギリシア・ラテン古典の引用に彩られ,該博な知識に基づく修辞的表現や韻律詩を駆使した鋭い社会批判,諧謔,皮肉を表出し,独自の文学作品としても個性的な魅力を放つ。
アーダルベルトは,同じくオットー1世に仕えた後,ロシアへの伝道司教を経てヴァイセンブルク修道院長となった。その『レーギノ年代記続編』(966-68成立)は,907-67年を対象に伝統的な編年体で書かれた。中世において最も広く普及し,読まれた史書の一つである。
わが国で未だ馴染みの薄いこの時代の歴史研究の土台を築く,基盤的業績である。本書の生き生きとした著述は,歴史の実像を読者の眼前に立ち昇らせるに違いない。
本書は,このオットー朝期(919-1024)の四大叙述史料のうち二書を,明快かつ詳細な訳注で提供する。
リウトプランドは,仕えたイタリア国王と激しく対立し,ドイツ国王オットー1世の宮廷に亡命した。その『報復の書』(958-62成立)は,皇帝カール3世が失脚し,フランク帝国が5つに分裂した頃(887/88)から筆を起こし,ドイツ,イタリア,ビザンツの同時代史を様々なエピソードを交えて描き,最後は自身のコンスタンティノープル使節行(950)を詳述する。膨大なギリシア・ラテン古典の引用に彩られ,該博な知識に基づく修辞的表現や韻律詩を駆使した鋭い社会批判,諧謔,皮肉を表出し,独自の文学作品としても個性的な魅力を放つ。
アーダルベルトは,同じくオットー1世に仕えた後,ロシアへの伝道司教を経てヴァイセンブルク修道院長となった。その『レーギノ年代記続編』(966-68成立)は,907-67年を対象に伝統的な編年体で書かれた。中世において最も広く普及し,読まれた史書の一つである。
わが国で未だ馴染みの薄いこの時代の歴史研究の土台を築く,基盤的業績である。本書の生き生きとした著述は,歴史の実像を読者の眼前に立ち昇らせるに違いない。