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禅とキリスト教

クラウス・リーゼンフーバー提唱集

禅とキリスト教
著者 クラウス・リーゼンフーバー
ジャンル 宗教
出版年月日 2022/05/29
ISBN 9784862853646
判型・ページ数 4-6・320ページ
定価 本体2,500円+税
在庫 在庫あり
 

目次

序文(畠 基幸)
聖書略号


第Ⅰ部 オリエンテーション

第1章 あるがままの自分であることと努力して自分となること
 一 自分がすることと,自分であること
 二 信頼と決断
 三 課題
 四 限界のない成長

第2章 具体的な方法
 一 自己自身を探し求める
 二 具体的な方法
 三 真理

第3章 呼吸
 一 呼吸との一致
 二 呼吸と霊
 三 キリストに似たものとなる

第4章 注意力
 一 対象に限定されない注意力
 二 注意力と受動性
 三 変化に耐える
 四 自己への回帰と自己の放棄


第Ⅱ部 私はある

第5章 私はある――ミサ 聖書朗読 ヨハネ六章16-21節
 一 旅――湖を渡る
 二 神の近さの恐怖と平安
 三 共にいる

第6章 まっすぐになる
 一 まっすぐな自己
 二 心身合一
 三 自己の中心
 四 存在の現れ
 五 自由と平安

第7章 内なる一性
 一 大切なことはただ一つ
 二 内なる人
 三 内的統一の方法

第8章 自己統一
 一 私たちの内にある深い泉
 二 表面的な自分と根源的な自分
 三 存在と行為
 四 限界のその先へ

第9章 「今」における存在理解
 一 自分の全てを尽くす
 二 アウグスティヌスにおける時間
 三 存在理解
 四 洞察と知恵


第Ⅲ部 禅と信仰

第10章 禅と宗教
 一 禅と仏教
 二 禅の目的
 三 禅の宗教性
 四 禅の実り
 五 心の火花

第11章 色即是空
 一 作務
 二 三昧
 三 あるがままにいる
 四 信仰における色と空

第12章 信仰と坐禅
 一 訓練の方法としての坐禅と祈り
 二 信仰
 三 根源的開け
 四 自己を超え出て成長する
 五 神の子であること
 六 言葉による祈りと言葉によらない祈り


第Ⅳ部 小さくなる

第13章 無所有
 一 白紙
 二 根源に至る三つの段階
 三 柔和
 四 私が根源を通して生き,根源が私を通して生きる

第14章 自己転換――何かを得ることと手を放すこと
 一 内的な深い統一を能動的に探し求める
 二 定力と知恵
 三 自己無化
 四 自己無化によって得られる幸い

第15章 「種」の譬え
 一 種
 二 土
 三 花
 四 丘
 五 水


第Ⅴ部 日常への帰還

第16章 神の似姿となる――無限の真理と具体的な私
 一 新しいぶどう酒を新しい革袋へ――接心が完結して新たな生へ
 二 アウグスティヌスにおける人間の精神の三段階
 三 神の賜物の管理者
 四 神の現れとしての人間
 五 愛の具体性・個別性
 六 決断の時

第17章 日常生活における坐禅――集中とリラックス
 一 日常生活へと還るにあたって
 二 時間の持つ二面性
 三 日々のただ中に開かれた無限
 四 放下

第18章 日常生活世界への帰還――我と汝との開かれた関係
 一 日常へのスムーズな移行
 二 坐ることと祈ること,向かうこととつながること
 三 日常的生活世界の持つ価値
 四 世界との関り
 五 汝とされ,汝とする

第19章 「キリストの聖体」の祭日――ミサ 聖書朗読 ヨハネ六章51-58節
 一 救済史におけるご聖体
 二 ご聖体の具体性
 三 食べ物との同化
 四 燃える心
 五 愛と命
 六 新しい掟

あとがき(小関彩子)
著者紹介
索引

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内容説明

心の真ん中が不動になり,心と頭が一つに統一されて,ひたすら「いる」ことが坐禅である。著者は「今,全く静かになって中から新たになる」と言う。
坐り,無心になり,背骨を伸ばし,心を真っすぐにし,意識と呼吸を一つにして自分自身を見つめる。そして自分を超えて大いなるものに出会い,その経験を通して信仰の神秘と救いがもたらされる。
禅は悟りだけでなく,自分自身と出会うための普遍的な作法でもある。数十年にわたり坐り続けてきたリーゼンフーバー師が,無心の自己を通して出会い,触れた,神やキリスト,そして聖霊との対話の数々が語られる。さらに聖書の言葉や教父の思索が全編に散りばめられ,信仰と希望と愛に支えられた世界に読者を誘ってくれるだろう。
ドイツから日本にミッションとして派遣された著者が,半世紀以上にわたり日本の人々と接して司牧活動に励み,学問的研鑽を積みながら,神との対話を通して実践的で誠実に生きた魂の記録である。本書を通して読者は時に立ち止まり,時に気づき,新たな自分を発見するに違いない。
現代のグローバル化と情報化という巨大なうねりの中で,翻弄され自己を見失いがちな私たちにとって,師の提唱は自分自身を見つける善い機会を与えてくれる。

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