ホーム > 中世における信仰と知

中世における信仰と知

中世における信仰と知
著者 上智大学中世思想研究所
ジャンル 哲学・思想 > 中世哲学
出版年月日 2013/03/30
ISBN 9784862851512
判型・ページ数 A5・482ページ
定価 本体9,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

序文(佐藤直子)
第Ⅰ部 教父思想
一 護教論者における信仰と知の問題(出村みや子)
序論 古代キリスト教における護教論の展開
1 真の哲学としてのキリスト教――殉教者ユスティノス
2 「愚かであるが故にこそ信じられねばならない」――テルトゥリアヌス
3 哲学の女主人としての知恵――アレクサンドリアのクレメンス
結論
二 カッパドキア教父における信仰と知の問題(土橋茂樹)
1 キリスト教信仰とギリシア哲学の関係をめぐる問題
2 バシレイオスにおける「ウーシア」論の展開
3 ニュッサのグレゴリオスにおける「デュナミス」論の展開
結びに代えて
三 アウグスティヌスにおける信仰と知――フィロソフィアの原義に立ち返って(出村和彦)
1 問題の所在
2 信仰と知解
3 フィロソフィアのはじめとしての信仰のあり方
4 宣教者アウグスティヌスにおける信仰と知解
5 「信仰の法則」と知解
結び
四 神への関与のアナロギア――擬ディオニュシオスから証聖者マクシモスへ(谷 隆一郎)
1 問題の提示
2 善の分有・希求のアナロギア
3 超越的な善と,「浄化,照明,脱自」の道
4 善への関与における意志的アナロギア
5 神人的エネルゲイアの現存
6 意志的聴従ないし信のアナロギア
7 結語に代えて
第Ⅱ部 初期スコラ学と修道院神学
一 エリウゲナにおける信仰と知(今 義博)
1 二つの書物
2 聖書論
3 信仰の第一位性
4 理性の第一位性
5 神の知と無知
6 神の自己意識
7 神についての人間の知識と知恵
8 知識から知恵へ
9 アナロギアと自由学芸
10 魂の自己知と自己無知
11 脱自と還没
二 カンタベリーのアンセルムスにおける信仰と理性(矢内義顕)
はじめに
1 信仰(fides)
2 理性(ratio)
3 理性の限界
4 理性的な対話への開き
結語
三 ペトルス・アベラルドゥスにおける理性と信仰 (K. リーゼンフーバー)
1 問題設定
2 理性の偉大さと限界
3 理性的・人格的行為の理論としての倫理学
4 イエスとの結びつきにおける愛の成立と完成
四 クレルヴォーのベルナルドゥスにおける愛の霊性(桑原直己)
1 はじめに
2 『神を愛することについて』における霊性段階説
3 『雅歌説教』における霊性の発展段階説
4 『雅歌説教』第八三説教から第八五説教における愛の理論
5 『雅歌説教』第二三説教――ベルナルドゥスにおける霊的体験論の要約
6 「味わい」(sapor)と「知恵」(sapientia)
7 結語
五 サン・ヴィクトール学派における信仰と知(中村秀樹)
1 知としての信仰
2 聖書による知
3 観想による知
4 愛の知
5 結語
第Ⅲ部 盛期スコラ学
一 グローステストにおける「信」と「知」――二冊の書物?自然と聖書(樋笠勝士)
序 学問と宗教
1 神学(theologia)の「網」と学問(scientia)の「網」――Dictum 118
2 身体の「関節」(articulus)としての「信」――Dictum 129
3 credibilia, scibilia, imaginabilia――『ヘクサエメロン』
結語 「光の形而上学」と「信と知」
二 信仰の知的性格について――トマス・アクィナスの創造論を手がかりに(山本芳久)
序 問題意識
1 トマス創造論の基本構図
2 「実在的な関係」と「概念的な関係」との「区別」
3 世界の永遠性と創始性――トマス創造論におけるアリストテレスの位置づけ
4 信仰の知的性格の意味するもの
結論 「区別者」としての神と人間
三 アヴェロエス主義と知性単一論の問題(山内志朗)
1 問題としてのアヴェロエス主義
2 中世における知性論の枠組み
3 知性論の系譜
4 能動知性離在論の立場
5 能動知性内在論の立場
6 その他の能動知性論
7 アヴェロエス説再考
第Ⅳ部 後期スコラ学から中世末期の思想
一 マイスター・エックハルトの本質的始原論(田島照久)
1 聖書義解の方法
2 信仰と直視
3 本質的始原論
4 類比的なものと同名同義的なもの
5 「義と義なる者」と反復語法
6 範型論
7 譬えことば
二 ドゥンス・スコトゥスの信仰理解と神学の位置づけ(小川量子)

1 ハビトゥスとしての信仰の理解
2 信仰と学知の両立不可能性

三 オッカムにおける神学と哲学(稲垣良典)
1 問題
2 形而上学の消去
3 神学と学知
4 おわりに
四 クザーヌスにおける信仰と知――神秘体験における「私」の成立(佐藤直子)
1 問題提起
2 上昇の道行き
3 絶対的無限性としての神
4 三位一体論からキリスト論へ
5 結語

執筆者紹介/索引

このページのトップへ

内容説明

本書はキリスト教古代から近世にいたる「信仰と知」をめぐる思索を代表的な思想家を通して解明する。古典古代で形成された知の探究構造はいかに聖書理解に受け継がれたか,信仰における問題意識に理性はいかに迫り,それ自体としては表現できない超越的な事態を理性はいかに理解へともたらすのかなど,多様な問題に光をあてる。
キリスト教がギリシア・ローマの思想と対峙した2世紀,教父たちは古代の知恵を信仰理解と信仰生活に生かすために,ヘレニズム的テキスト解釈を聖書解釈へ導入し,中期プラトン主義による救済史的神学体系の構築に挑んだ。
11世紀のラテン中世では,信仰内容を「理性のみによって」探究する初期スコラ学がアンセルムスにより形成され,「信仰と知」は自らに目覚めた理性と聖書理解および教会の伝統との関係を問う「理性と権威」として主題化された。
アリストテレス哲学がイスラム世界から受容された13世紀の盛期スコラ学では,「知」は経験的認識に基づいた「学知」となり,信仰理解は「大全」にまとめ上げられ,「信仰と知」は大学において「神学と哲学」として提起された。
14世紀の後期スコラ学になると哲学と神学の密接な関係が神学の優位性とともに解体し,経験と個体を重視するスコトゥスとオッカムの思惟の展開,また思弁的知性論を軸としたエックハルトからクザーヌスへの潮流が,イギリス経験論と大陸合理論,ドイツ観念論へと展開していった。
「信仰と知」から見た中世思想史としても格好の基本文献。

このページのトップへ