エックハルト ラテン語著作集 IV
全56篇のラテン語説教集
著者 | エックハルト 著 中山 善樹 訳 |
---|---|
ジャンル | 哲学・思想 > 中世哲学 |
シリーズ | エックハルト ラテン語著作集 |
出版年月日 | 2011/04/30 |
ISBN | 9784862851062 |
判型・ページ数 | A5・544ページ |
定価 | 本体8,000円+税 |
在庫 | 在庫あり |
目次
説教1 〔われわれの心のうちに〕住む霊によって,〔われわれの心のうちに〕神の愛が注がれた(ロマ5・5参照)
説教2 平和と愛の神があなたがたとともにあるであろう(Ⅱコリ13・11)
説教3 地上のことを,私はあなたがたに話した(ヨハ3・12)
説教4 彼から,彼によって,彼のうちにすべてのものはある(ロマ11・36)
説教5 私の肉は真に糧である,等々(ヨハ6・56)
説教6 神は愛である,等々(Ⅰヨハ4・8)
説教7 或る金持ちがいた(ルカ16・19)
説教8 或る人が大いなる晩餐をした,等々(ルカ14・16)
説教9 すべての恩寵の源である神は,あなたがたをキリスト・イエスにおいて,御自分の永遠の栄光へと呼んでおられたのですが,僅かの間苦しんだあなたがたを,完全な者とし,堅固な者とし,揺らぐことのない者として下さるでしょう(Ⅰペテ5・10)
説教10 収税人や罪人たちがイエスに近づいてきた(ルカ15・1)
説教11 今の時の苦しみは取るに足らない,等々(ロマ8・18)
説教12 あなたがたは,あなたがたの父のように,慈しみふかくありなさい,等々(ルカ6・36)
説教13 あなたがたは皆,祈りにおいて心を一つにして,同情ぶかく,兄弟を愛する者であり,憐れみふかく,謙遜でありなさい(Ⅰペテ3・8)
説教14 イエスはシモンのものであった一隻の舟に乗った,等々(ルカ5・3)
説教15 生命の新さにおいてわれわれは歩まなければならない(ロマ6・4)
説教16 自分の兄弟に怒る人は皆,裁きを受けなければならないであろう(マタ5・22)
説教17 しかし(vero)あなたがたは今,罪から解放された(ロマ6・22)
説教18 私はこの人たちを憐れに思う(マコ8・2)
説教19 われわれは負債を負った者である(ロマ8・12)
説教20 偽預言者を警戒せよ,等々(マタ7・15)
説教21 われわれは悪を貪る者になってはいけない(Ⅰコリ10・6)
説教22 或る人は金持ちであった(ルカ16・1)
説教23 誰も,聖霊においてでなければ,主はイエスであると言うことができない(Ⅰコリ12・3)
説教24 私の家は,祈りの家であると書かれているのに(イザ56・7),あなたがたは,それを強盗の巣窟にした(ルカ19・46)
説教25 神の恩寵によって私は,私がそれであるところのものである(Ⅰコリ15・10)
説教26 二人の人が〔祈るために神殿に〕上った(ルカ18・10)
説教27 われわれの満足は神からくる(Ⅱコリ3・5)
説教28 彼はすべてのものをよくした(マコ7・37)
説教29 神は一なるものである(ガラ3・20,申6・4)
説教30 あなたは主であるあなたの神をあなたの心をあげて〔霊魂をあげて,力を尽くして,思いを尽くして〕愛さなくてはならない。〔またあなたの隣人もあなた自身と同じように愛さなくてはならない〕(ルカ10・27)
説教31 霊において歩め。〔そして肉の求めるところを行うな〕(ガラ5・16)
説教32 立って,行け。あなたの信仰があなたを救った(ルカ17・19)
説教33 われわれは霊において生きているのならば,また霊において歩むべきであろう(ガラ5・25)
説教34 誰も二人の主人に仕えることはできない(マタ6・24)
説教35 私は跪こう,〔われわれの主であるイエス・キリストの父の前で。その父より天と地のすべての父性は名づけられているのである〕(エフェ3・14)
説教36 イエスはナインと呼ばれる町に行かれた,等々(ルカ7・11)
説教37 一なる神とすべてのものの父(エフェ4・6)
説教38 友よ,もっと上に進んで下さい。〔その時,あなたには栄光があるでしょう〕(ルカ14・10)
説教39 私はあなたがたすべてのゆえに,私の神に感謝している(Ⅰコリ1・4)
説教40 あなたは主であるあなたの神をあなたの心をあげて愛さなくてはならない(マタ22・37)
説教41 神にかたどって造られた新しい人を着なさい(エフェ4・24)
説教42 子よ,あなたの罪は赦された(マタ9・2)
説教43 あなたがたが用心ぶかく歩んでいるかどうか調べなさい(エフェ5・15)
説教44 天の国は自分の息子のために婚宴を催した王に似ている(マタ22・2)
説教45 神の武具をつけよ(エフェ6・13)
説教46 主よ,私の子が死なないうちに下りてきてください(ヨハ4・49)
説教47 私たちは主イエスを信じています。彼はあなたがたのうちで善き業を始めたのであり,終わりに至るまで,すなわちイエス・キリストの日に至るまでそれを完全なものとして下さるからです(フィリ1・6)
説教48 われわれの交わりは天にある(フィリ3・20)
説教49 この像と上書きは誰のものか(マタ22・20)
説教50 われわれは,あなたがたが神の意志の認識によって満たされるように,あなたがたのためにたえず祈って求めている(コロ1・9)
説教51 見よ,その日が来るであろうと,主は言われた(エレ23・5)
説教52 主であるイエス・キリストを着なさい(ロマ13・14)
聖人の祝日における説教
説教53 われわれはすべてを捨てて,あなたに従いました。われわれは何を受けるでしょうか(マタ19・27)
説教54 神を恐れる人は善きことをなすであろう(シラ15・1)
説教55 知恵のうちに留まる人は幸いである(シラ14・22)
説教56 聖人たちは信仰によって国々を征服した(ヘブ11・33)
解説
あとがき
訳註
索引
内容説明
神学教授の主要任務は,聖書講解と討論の主宰,ラテン語説教を行うことであり,本書はそのための草稿である。
説教の主題は多岐にわたり,なかでも存在と無,生と死,善と悪などが扱われ,それらを特有の弁証法を駆使して,大胆な比喩と言葉の豊かさによって思惟の底知れぬ深みへと導くエックハルトの手腕は驚くべきものである。
全篇をつうじて主張して止まないのは,神と魂との密接な関係である。いかなる貪欲も知らない完全な愛によって,われわれは自我性を脱却して否応なく神のうちに移される。その時われわれは恩寵によって,神の独り子キリストにいささかも劣らない独り子たちになるという。エックハルトはそのような人を義人ないし神的人間と呼んで,繰り返しそのような境地を目指して生きることを求めている。キリストとわれわれの間には範型と似像として超えがたい区別がある。キリストは本質的に神の子であり,われわれは神の恩寵によって神の子になる。これは「神人合一」の神秘を説いたもので,他には見られない直裁にして易しく説かれている。聖書の言葉に密着し,それらを自在に解釈しながら,彼特有の哲学を語り尽くした「聖書の哲学」と呼ぶに応しいものである。
これらラテン語説教のうちには,エックハルト思想の根本的モチーフ「霊魂における神の(子)の誕生」という用語が,唯一ラテン語著作のうちで見出され,ラテン語説教こそ彼の思想の最終的形態を表していると言えよう。