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知の存在と創造性

知の存在と創造性
著者 村上 勝三
ジャンル 哲学・思想
出版年月日 2014/11/15
ISBN 9784862851987
判型・ページ数 A5・272ページ
定価 本体4,200円+税
在庫 在庫あり
 

目次

凡例/まえがき

第Ⅰ部 知性と創造性
序論 知の存在論
第一章 知的狂気とは何か
第一節 妄想と創造的な思いの違い
第二節 〈ずれ〉と「反復」
第三節 違う方向を求めて
第四節 知的狂気とは何か
第二章 知的狂気への接近方法
第一節 引き離しと縮約
第二節 感覚の引き離し
第三節 感情の引き離し
第四節 想像力ないし想像の引き離し
第五節 しようとして為すのは,私以外の何ものでもない
第三章 方法の適用としてのシュレーバー症例
第一節 フロイト(歪曲)
第二節 ドゥルーズ=ガタリ(独一性)
第三節 ラカン(了解可能性=包括的把握の可能性)
第四節 ラカン(逸脱とずれ)
第四章 知的狂気と創造性

第Ⅱ部 知性と存在
序論 二つの形而上学と二つの方法
第一章 ライプニッツとデカルトの距離
第一節 ピエール-シルヴァン・レジス(1632-1707)による哲学史
第二節 ライプニッツのデカルト評価
第三節 第三世代のライプニッツ
第四節 デカルト哲学とライプニッツ哲学の対立点
第二章 コナトゥスからモナドへ
第一節「コナトゥス」論の出発点
第二節「コナトゥス」と「広がり」
第三節「調和」と身心の区別
第四節「実体」,「力」,「モナド」
第三章 「省察」と「論証」
第一節 デカルトの「方法」に対するライプニッツの批判
第二節 幾何学的な記述の仕方
第三節 マテーシスの広汎性
第四節 方法としてのマテーシスによる諸学の成立
第四章 コギトの形而上学とモナドの形而上学
第一節 諸学の樹状的構成
第二節 数学と物理学の関係
第三節 知ることの存在論

第Ⅲ部 超越
序論 無限への超越――デカルトの途
第一章 超越への準備
第一節 他なるものと真理
第二節 判断とは他人へと越境することの論理形式である
第三節 思いの様態の区分
第四節 観念の起源
第五節 包括的把握の不可能性(了解不可能性)
第二章 超越への途
第一節 デカルト思索史における「実象性」概念の誕生
第二節 「実象性」概念の歴史的背景
第三節 「第三省察」における「実象性」の度合い
第四節 「第六省察」における「優越的に/形相的に」の区別
第五節 因果の原理
第六節 超越を歩む

文献表/あとがき/索引

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内容説明

今日,哲学は実在と本質,理由と結果を峻別し,また存在と当為を独立した事柄として扱うため,存在と善と真理とが一つになる場を失い,相対主義に陥っている。
著者は現代哲学の課題に対し,「私」の思いを出発点に,「私」を超え無限へと至り,「私」と他人との等根源性が獲得される事情を解明する。「ないからあるへ」の移り行きはどのように生じ,そのことはわれわれの知識の体系にどのような役割と位置をもつのかに答える。
第Ⅰ部「知性と創造性」では,知性による創造性こそが「無からの創造」に最も近い極みであり,創造性は差異を含み,それは逸脱としての狂気となる。この知的狂気こそ創造性の原点であり,それを見極めることが知性の働きを捕捉することに他ならないとする。
第Ⅱ部「知性と存在」では,デカルトとライプニッツの形而上学を比較する。デカルトが「私」を第一性として神の実在証明をとおして形而上学を確立し,ライプニッツが「ある」から出発し,デカルト批判をとおして「コナトゥス論」,「モナド論」へ至る道筋を解明する。
第Ⅲ部「超越」。「私」を超えて拓かれる地平に「私」はなく,有限から無限への超越こそが真理の領域を切り開くことであり,そこに新たな形而上学が提示される。

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