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イデアと幸福

プラトンを学ぶ

イデアと幸福
著者 栗原 裕次
ジャンル 哲学・思想
出版年月日 2013/05/15
ISBN 9784862851543
判型・ページ数 菊判・292ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はしがき
序 〈対話的営み〉としての哲学
第Ⅰ部 善と悪――初期対話篇
第1章 『ゴルギアス』篇の〈最大悪〉
はじめに
1 不正をめぐる〈最大悪〉
1.1 〈最大悪〉としての不正行為
1.2 〈最大悪〉としての不幸な生
2 〈最大悪〉としての偽なる思い
むすび
第2章 『ゴルギアス』篇の〈悪人〉論――「不正な人」の場合
はじめに
1 死後の裁きに関するミュートス
2 内的観点から見られた不正な人
2.1 『リュシス』篇(217a3-218c2)における「無知の自覚」
2.2 2種類の不正な人の異なり
2.3 ソクラテス的エレンコスの効果
3 「不正な人」の生成論
むすび
第3章 プラトン初期対話篇における〈害悪〉論
1 〈害悪〉をめぐるパラドクス
2 〈領域相対的悪〉と〈害悪〉
3 〈不正〉と不正行為
4 悪の〈機能〉論的説明
5 人はいかにして害されるのか?
6 パラドクス再考
むすび
[補足]「害悪」の一般的理解
第4章 善をめぐる思考と欲求――『メノン』篇 (77b-78b) の一解釈
はじめに
1 問題状況の確認
2 2つの解釈
3 善をめぐる思考のはたらき
4 幸福の願望と自己への配慮
第Ⅱ部 哲学者の探究的生――中期対話篇とその展開
第5章 「学び=想起」の二義性と感覚の問題――『パイドン』篇アナムネーシス論(72e-77a) の一考察
はじめに
1 想起の形式的定義と5つの実例――「理解」としての「学び=想起」
2 〈等〉の想起―感覚と思考の関わり
3 探究としての想起――〈善〉〈美〉etc. の「学び=想起」とは?
むすび
(補論)『パイドン』篇における“α?τ? τ? ?σα”(74c1) の一解釈――プラトン中期イデア論理解のための予備的考察
はじめに
1 アナムネーシス論の文脈の確認
2 知識の獲得と想起
3 2種の現われ:感覚判断と〈等〉の現前
むすび
第6章 プラトンにおける生と死の思想――『パイドン』篇の魂論との関係で
はじめに
1 生と死の相対化――『ソクラテスの弁明』『クリトン』における〈死〉
2 『パイドン』の問題:大衆のドクサとの対決
3 〈親近性〉による魂不死の証明――イデアとイデアを分有するもの
4 哲学のすすめ
むすび
第7章 プラトンの人間論への接近――『ポリテイア』篇第1巻346e3-347e2
はじめに
1 2つのパラドクス
2 「報酬」としての罰
3 ソクラテスの論理
4 必然性と選択
5 〈自己〉の二面性
6 人格と幸福
むすび
第8章 哲学と詩の闘争(アゴーン)――プラトンと文学
第9章 教養教育としての〈古典〉の読解
はじめに
1 『ポリテイア』の問題と教育論の位置づけ
2 市民教育論(第2・3巻)
3 哲学者とは誰か?(第5・6巻)
4 人間教育論(第7巻)
5 哲学と教養――むすびに代えて
第10章 『ピレボス』篇における快と幸福――「虚偽の快」をめぐる第1議論(36c3-41a4)の研究
はじめに
1 通常の解釈とその問題点
2 考察の方針
3 ドクサの生成と思考の歩み
4 本の比喩と〈希望〉の構造
5 「期待の快」の実例について
6 嫉妬の快と虚偽の快
7 「人にとってのよき生」とは?

初出一覧/参考文献/索引/引照出典

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内容説明

プラトンの〈人間=対話的存在〉について,初期対話篇の批判的性格と中期対話篇の探究的性格を通して解明する。
プラトンは初期著作で,人々の誤った自己理解を問答論駁法によって吟味し批判するソクラテスの姿を描くことで,人間とは対話的存在であることを示した。根拠のないドクサに安住して生きるならば,その一生は欺瞞と誤謬に満ちたものになる。哲学とは誤ったドクサ(思い,信念)を除き,真実に気づかせ,正しいドクサ(自己認識)へと導く一連の対話的営みである。吟味なき生は人間にとって生きるに値しないと言える。
プラトンは中期著作で哲学を〈イデア〉の共同探究と性格づけ,対話的存在たる人間のもう一つの姿を明らかにした。プラトンは「もの」をどう認識するかについて,感覚および認識者自身や一般に信じられていること(ドクサ)を介して出会う場合,さらに何も介することなく直接的に「もの」と出会い,その本質を学ぶ経験とに分け,この経験において認識の対象となるものを〈イデア〉と呼んだ。このイデアの存在の鍵を握るのは〈学び〉のリアリティである。「学ぶ」ことを実感するかぎりイデアは存在すると確信できる。イデアの存在を認めない人は,学びの可能性を信じられず,ドクサに盲従して暮らすことになる。
正義や節制という徳を学ぶ人はイデアを言葉(ロゴス)として内化し,イデアとの出会いがその人のあり方を決め,その人の魂を形づくり,最大の善,幸福をもたらす。
哲学するとは人間が幸せになるためにかけがえのない営みであるとして,著者は哲学の原点を示した。

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