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目次
序章
1 詩編による生活と学問(修学時代/修道士時代/大学教授時代)
2 詩編第四編の解釈(第1回詩編講義/第1回詩編講義から第2回詩編講義へ/第2回詩編講義/まとめ)
第1章 詩編の語り手――「ダビデの詩編」[詩編4・1]の解釈
問題の提示/伝統的解釈/第1回詩編講義/「ヴァティカン断片」/第2回詩編講義/まとめ
第2章 詩編における言葉と音楽――「楽器に合わせて」[詩編4・1]の解釈
問題の提示/「ラムナツェアハ・ビンギノト」の解釈/「セラ」の解釈/伝統的情動理解/ルターの情動理解/賛美歌集における言葉と音楽/まとめ
第3章 詩編における神学と修辞学――「神的詩人また比類ない修辞家」[詩編4・2注解]に関連して
問題の提示/第1回詩編講義における「第三者の他動詞」/第2回詩編講義における「黙説法」/まとめ
第4章 詩編における呼びかけ――「わたしが呼びかけるたびに」[詩編4・2]の解釈
問題の提示/第1回詩編講義/「ヴァティカン断片」/第2回詩編講義/まとめ
第5章 神の義と人間の義――「わたしの義の神」[詩編4・2]の解釈
問題の提示/第1回詩編講義/『二重の義についての説教』と『三重の義についての説教』/第2回詩編講義/「法律的思惟形式」について/まとめ
第6章 経験の意味をめぐるルターとディオニュシウス――「神の言葉を理解するためには経験が必要である」[詩編4・3注解]に関連して
問題の提示/ディオニュシウスの経験理解/第1回詩編講義/ローマ書講義とヘブライ書講義/第2回詩編講義/まとめ
第7章 受動性をめぐるルターとカルヴァン――「ハーシード」[詩編4・4]の解釈
問題の提示/ルター/カルヴァン/まとめ
第8章 詩編におけるメディタチオ――「心の中で語る」[詩編4・5]の解釈
問題の提示/第1回詩編講義/第2回詩編講義/まとめ
第9章 悔い改めと沈黙――「ドームー」[詩編4・5]の解釈
問題の提示/第1回詩編講義/「ヴァティカン断片」/『七つの悔い改めの詩編』/第2回詩編講義/まとめ
第10章 詩編による信仰理解――「あなたの顔の光」[詩編4・7]の解釈
問題の提示/「神の顔の光」の伝統的解釈/第1回詩編講義/「ヴァティカン断片」/第2回詩編講義/まとめ
付録 「ヴァティカン断片」詩編第四編の注解(和訳)
1 詩編による生活と学問(修学時代/修道士時代/大学教授時代)
2 詩編第四編の解釈(第1回詩編講義/第1回詩編講義から第2回詩編講義へ/第2回詩編講義/まとめ)
第1章 詩編の語り手――「ダビデの詩編」[詩編4・1]の解釈
問題の提示/伝統的解釈/第1回詩編講義/「ヴァティカン断片」/第2回詩編講義/まとめ
第2章 詩編における言葉と音楽――「楽器に合わせて」[詩編4・1]の解釈
問題の提示/「ラムナツェアハ・ビンギノト」の解釈/「セラ」の解釈/伝統的情動理解/ルターの情動理解/賛美歌集における言葉と音楽/まとめ
第3章 詩編における神学と修辞学――「神的詩人また比類ない修辞家」[詩編4・2注解]に関連して
問題の提示/第1回詩編講義における「第三者の他動詞」/第2回詩編講義における「黙説法」/まとめ
第4章 詩編における呼びかけ――「わたしが呼びかけるたびに」[詩編4・2]の解釈
問題の提示/第1回詩編講義/「ヴァティカン断片」/第2回詩編講義/まとめ
第5章 神の義と人間の義――「わたしの義の神」[詩編4・2]の解釈
問題の提示/第1回詩編講義/『二重の義についての説教』と『三重の義についての説教』/第2回詩編講義/「法律的思惟形式」について/まとめ
第6章 経験の意味をめぐるルターとディオニュシウス――「神の言葉を理解するためには経験が必要である」[詩編4・3注解]に関連して
問題の提示/ディオニュシウスの経験理解/第1回詩編講義/ローマ書講義とヘブライ書講義/第2回詩編講義/まとめ
第7章 受動性をめぐるルターとカルヴァン――「ハーシード」[詩編4・4]の解釈
問題の提示/ルター/カルヴァン/まとめ
第8章 詩編におけるメディタチオ――「心の中で語る」[詩編4・5]の解釈
問題の提示/第1回詩編講義/第2回詩編講義/まとめ
第9章 悔い改めと沈黙――「ドームー」[詩編4・5]の解釈
問題の提示/第1回詩編講義/「ヴァティカン断片」/『七つの悔い改めの詩編』/第2回詩編講義/まとめ
第10章 詩編による信仰理解――「あなたの顔の光」[詩編4・7]の解釈
問題の提示/「神の顔の光」の伝統的解釈/第1回詩編講義/「ヴァティカン断片」/第2回詩編講義/まとめ
付録 「ヴァティカン断片」詩編第四編の注解(和訳)
内容説明
マルティン・ルター(1483-1546年)はヴィッテンベルク大学で前後2回にわたり詩編講義を行った。第1回詩編講義(1513-15年)では,伝統的な解釈を継承しながら独自の解釈と信仰の確立を探求した。第2回詩編講義(1519-21年)はパウロ書簡への取り組みやヘブライ語理解の進展を通して彼独自の詩編理解へ到達し,信仰の深化を実現した。著者は二つの詩編講義,とりわけ詩編第四編を集中的に読み解きながら,彼の思想的展開を辿り,第2回講義で到達した思想の全貌を明らかにする。
ルターは詩編を「小聖書」と呼び,詩編一書に聖書の全体および核心が包含され要約されているとした。彼は1513年以来,旧約と新約,詩編とパウロ書簡についての聖書講義を行ってきた。第2回詩編講義はそれら聖書講義の到達点,総括的聖書注解であり,そこでは詩編の文法理解と神学思想とが一体のものとなった。それは一連の講義を通して探求していた「神の義」の理解に明瞭に示されるとともに,純粋に聖書釈義により導出された神学思想が,ルターの宗教改革運動において展開された実践的社会思想や政治思想の源泉または萌芽となった。
第1回と第2回の両講義は「塔の体験」を挟んで神の義の理解をめぐり決定的に相違するが,前期において聖書釈義により見出されたものが,後期には具体的生活経験の中で実行されたと言える。
本書はルターの聖書理解の展開が宗教改革をもたらす源泉的役割を果たしたことを解明した画期的業績である。
ルターは詩編を「小聖書」と呼び,詩編一書に聖書の全体および核心が包含され要約されているとした。彼は1513年以来,旧約と新約,詩編とパウロ書簡についての聖書講義を行ってきた。第2回詩編講義はそれら聖書講義の到達点,総括的聖書注解であり,そこでは詩編の文法理解と神学思想とが一体のものとなった。それは一連の講義を通して探求していた「神の義」の理解に明瞭に示されるとともに,純粋に聖書釈義により導出された神学思想が,ルターの宗教改革運動において展開された実践的社会思想や政治思想の源泉または萌芽となった。
第1回と第2回の両講義は「塔の体験」を挟んで神の義の理解をめぐり決定的に相違するが,前期において聖書釈義により見出されたものが,後期には具体的生活経験の中で実行されたと言える。
本書はルターの聖書理解の展開が宗教改革をもたらす源泉的役割を果たしたことを解明した画期的業績である。