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哲学 第61号
シンポジウム:現代における〈死〉
著者 | 日本哲学会 編 |
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ジャンル | 哲学・思想 学会誌 > 『哲学』(日本哲学会) |
出版年月日 | 2010/04/01 |
ISBN | 9784862859051 |
判型・ページ数 | A5・348ページ |
定価 | 本体1,800円+税 |
在庫 | 在庫あり |
目次
●第69回大会(2010年)シンポジウム「現代における〈死〉」
「現代における〈死〉」への覚書――脳死・臓器移植をめぐる「ノン・パンセ」(田中智彦)
誰が死刑を望むのか(藤田真利子)
死を超えるもの――「メタ死生学」試論(森 一郎)
●共同討議Ⅰ 形而上学再考
継承と拡散――「形而上学」は再興するか(柏端達也)
アリストテレス学と現代分析系/非分析系形而上学との対話――「形而上学再考/再興」のために(坂下浩司)
●共同討議Ⅱ 哲学史を読み直す――マルクス
批判と歴史――アドルノとベンヤミンのマルクス理解にそくして(麻生博之)
再読されるマルクス(田畑 稔)
●第68回大会(2009年)シンポジウム「格差・平等・国家」総括
(司会者 種村完司/コメンテーター 金子勝・齋藤純一)
●第2回日中哲学フォーラム報告
(種村完司/座小田豊/山内廣隆/石崎嘉彦/林晃紀)
●応募論文
ブラッドリー的無限後退は事態の存在論にとって無害なのか(秋葉剛史)
幾何学における抽象と記号――ライプニッツの「幾何学の哲学」の可能性(稲岡大志)
基準論は私的言語の不可能性を主張できるか(尾形まり花)
脳科学と自由意志――ヴォルフ・ジンガーの人間学的問題提起をめぐって(桐原隆弘)
カントにおける心身問題(近堂 秀)
傾向としての記憶について(櫻木 新)
スピノザにおける人間の概念――『エチカ』第4部の「人間本性の型」に関する考察(柴田健志)
自己犠牲的行為の説明――行為の演技論的分析への序論(田村 均)
「修正された形式主義」から「概念の哲学」へ――ジャン・カヴァイエスの数理哲学におけるスピノザ主義(中村大介)
ヒュームにおける「道徳の理由」――「狡猾な悪人」をめぐって(矢嶋直規)
カント実践哲学における尊敬の感情――道徳における動機、もしくは執行の原理?(山蔦真之)
日本哲学会規則/日本哲学会役員一覧/日本哲学会役員選挙規定/論文公募規定/日本哲学会若手研究者奨励賞/著作権規定/欧文要旨
「現代における〈死〉」への覚書――脳死・臓器移植をめぐる「ノン・パンセ」(田中智彦)
誰が死刑を望むのか(藤田真利子)
死を超えるもの――「メタ死生学」試論(森 一郎)
●共同討議Ⅰ 形而上学再考
継承と拡散――「形而上学」は再興するか(柏端達也)
アリストテレス学と現代分析系/非分析系形而上学との対話――「形而上学再考/再興」のために(坂下浩司)
●共同討議Ⅱ 哲学史を読み直す――マルクス
批判と歴史――アドルノとベンヤミンのマルクス理解にそくして(麻生博之)
再読されるマルクス(田畑 稔)
●第68回大会(2009年)シンポジウム「格差・平等・国家」総括
(司会者 種村完司/コメンテーター 金子勝・齋藤純一)
●第2回日中哲学フォーラム報告
(種村完司/座小田豊/山内廣隆/石崎嘉彦/林晃紀)
●応募論文
ブラッドリー的無限後退は事態の存在論にとって無害なのか(秋葉剛史)
幾何学における抽象と記号――ライプニッツの「幾何学の哲学」の可能性(稲岡大志)
基準論は私的言語の不可能性を主張できるか(尾形まり花)
脳科学と自由意志――ヴォルフ・ジンガーの人間学的問題提起をめぐって(桐原隆弘)
カントにおける心身問題(近堂 秀)
傾向としての記憶について(櫻木 新)
スピノザにおける人間の概念――『エチカ』第4部の「人間本性の型」に関する考察(柴田健志)
自己犠牲的行為の説明――行為の演技論的分析への序論(田村 均)
「修正された形式主義」から「概念の哲学」へ――ジャン・カヴァイエスの数理哲学におけるスピノザ主義(中村大介)
ヒュームにおける「道徳の理由」――「狡猾な悪人」をめぐって(矢嶋直規)
カント実践哲学における尊敬の感情――道徳における動機、もしくは執行の原理?(山蔦真之)
日本哲学会規則/日本哲学会役員一覧/日本哲学会役員選挙規定/論文公募規定/日本哲学会若手研究者奨励賞/著作権規定/欧文要旨