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内容説明
本書はハイデガーの倫理的思考とはどのようなものかを探求し,そこで得た理解を背景に現代の深刻な倫理的課題を率直に考察した意欲的作品である。
自分の存在や置かれた情況を了解し行為することが,実存の意味であり倫理の前提である。外側から客観的に眺めるのではなく,個々の人のあり方や生き方である実存に照準を合わせ,いわば実存しつつ実存について省察することにより,共同存在としての社会における倫理を見据えようとする試みと言える。
ハイデガーは倫理を本格的に扱うことはなかったが,「ヒューマニズムについての手紙」(1946年)のなかで彼はエートスという言葉に関するヘラクレイトスの格言を分析し,エートスとは居場所,住む場所を意味し,「親しい居場所とは人間にとって神の現存のための開かれた場である」と読み解いた。
後期ハイデガーが「人間の居場所-住むことを考えること」を「根源的倫理学」と呼んだが,その真意をヘルダーリン論の分析により解明し,さらに『存在と時間』の現存在の実存論的分析論を「非根源的倫理学」と性格づけ,倫理学の可能性を問う。
自分の存在や置かれた情況を了解し行為することが,実存の意味であり倫理の前提である。外側から客観的に眺めるのではなく,個々の人のあり方や生き方である実存に照準を合わせ,いわば実存しつつ実存について省察することにより,共同存在としての社会における倫理を見据えようとする試みと言える。
ハイデガーは倫理を本格的に扱うことはなかったが,「ヒューマニズムについての手紙」(1946年)のなかで彼はエートスという言葉に関するヘラクレイトスの格言を分析し,エートスとは居場所,住む場所を意味し,「親しい居場所とは人間にとって神の現存のための開かれた場である」と読み解いた。
後期ハイデガーが「人間の居場所-住むことを考えること」を「根源的倫理学」と呼んだが,その真意をヘルダーリン論の分析により解明し,さらに『存在と時間』の現存在の実存論的分析論を「非根源的倫理学」と性格づけ,倫理学の可能性を問う。