目次
第一章 能動知性論――『人間論』に即して
一 能動知性とはどのようなものか
二 能動知性をめぐる三つの疑問
三 思弁知性単一説論駁
四 まとめ
第二章 可能知性論――『霊魂論』に即して
一 二つの受動,二つの可能態
二 可能知性の「限定理論」
三 可能知性単一説論駁
四 表象像から意志へ
五 まとめ
第三章 知性論史解釈――『霊魂論』に即して
一 アフロディシアスのアレクサンドロスの可能知性論
二 テオフラストス・テミスティオスの可能知性論
三 アヴェンパケの可能知性論
四 アヴェロエスの可能知性論
五 その他の人々の可能知性論
六 アレクサンドロスの至福論
七 テオフラストス・テミスティオス,ファーラービー・アヴェンパケの至福論
八 アヴィセンナの至福論
九 アヴェロエス・アルベルトゥスの至福論
十 まとめ
第四章 人間の魂と天の魂の類似性――主に『知性の単一性について』に即して
一 知性的自然本性の第一原因からの流出
二 知性体の多数性の原因としての可能態
三 人間における諸能力の魂からの流出
四 まとめ
補足 「限定理論」の根拠
結び
あとがき/文献一覧/略号表/注/索引/欧文要旨
内容説明
人格概念は現代の倫理を支える根本的なものである。これが哲学概念として初めて主要なテーマとなるのは,13世紀西洋における知性単一説論争においてである。
知性単一説はムスリム哲学者アヴェロエスがアリストテレス『霊魂論』註解の中で唱えたが,それを初めて論駁したのはアルベルトゥス・マグヌスである。本書は,アルベルトゥスがアヴェロエスの知性単一説をどのように論駁したかを明らかにする。彼によれば能動知性は可能知性の現実態であり,超時間空間的な純一性である。この純一性を個である表象像が限定することによって様々な知性認識対象である「普遍」(思弁知性)が可能知性のうちに生じる。可能知性はその働きにおいて,それ自体では身体に与らないが,身体に与っている感覚能力には与る。そのため感覚能力が身体によって個別化されていることを通して可能知性は間接的に個々人の身体に「個別化」される。これによって,三位一体論に由来する普遍的なpersonaは,個人の人格概念の基盤を得ることになる。
本書は前著『アルベルトゥス・マグヌスの感覚論』の姉妹篇である。わが国では未開拓なマグヌス研究に新たな一歩を刻む貴重な業績となろう。